(六十一)
あぁ、戦争が遺したものはこれか、と。
外に出ると、陽が眩しい。痛いような、虚しいような、なんとなく乾いた感じの日差しが目に入る。
確かに家の中は暗かった。
でもそれだけじゃない、何か、感傷的なものも感じて、しばらく足が動かない。
ここアムステルダムでは、ある日本人女性と出会って、一緒に観光させてもらった。
この人との出会いは実に愉快。
こっちから声をかけたんだけど、実は見かけたのはその時で三度目。
最初は、アムステルダム中央駅に行くための乗り換えのホームで見かけて、あ、と思ったんだけど、結局声はかけられず。
二度目は、アムステルダム中央駅の手荷物預かり所で。
そして、三度目は「アンネの家」。
さすがにびっくりした。
話を聞くと、彼女は大阪の院生で、歴史が専攻。
四ヶ月ヨーロッパにいて、もうすぐ日本に帰国する予定なんだそうだが、やっと日本に帰れる、嬉しい、という。
トルコから東側をずっと周ってきたそうで、ブルガリアを旅した時に風邪をひいてしまい、でも自分独りだけで、食べるものもろくになく、商店では並ばないと買えないという。
どうしてもオレンジが欲しくて、でも体はきつくて、西側のイヤな手を使ってしまったという。
つまり、ドルを使って高値で買うから先に、って。
いつも「帰りたい」と言っていたらしい。
同じだ。
一人で旅してるバックパッカーはほとんどそう言うらしい。
その上、そういう旅をした人の80%が愛国主義になるという。
よく判る。
でもなんとなく安心した。
今まで会った日本人の人達は、しみじみ「帰りたい」なんて言わなかった。
こんなバカなやつ、自分だけか、何しに来たんだろう、って思ってた。
でも、旅は終わらない、続いている。
(六十二)
さてホテルを決めてから気が付いたんだけど、ホテルのある通りの周辺は、環境が悪い。
アムステルダムでは有名な「飾り窓の女」というのがある。
ま、風俗だ。
アンネの家で会った日本人女性が「飾り窓の女」を見たいけど女性一人じゃ不安だからというので行ってみると、割とホテルの近く。
表通りから入ってくると、なかなか裏道っぽくていいなぁ、なんて呑気なことを思っていたが、逆側から来ると治安に少なからず不安を覚える。
翌朝早起きしてアムステルダム中央駅へ。
9:27発。
いざベルギーはブリュッセルへ。
結構混んでる車内で空いてるコンパートメントを探し、落ち着くと、チケットチェックがある。
ユーレイルパスを見せると、パスポートも、と言われる。
初めて。
オランダもベルギーも国土の小さい国だからすぐに着くだろう。
なんだか国際列車という感じがしない。
でも立派。
外を見ると、天気が悪い。ここんとこ天候には恵まれないなぁ、なんて思ってると、列車は地下に。
そしてほどなくしてブリュッセル中央駅に到着。
12:28着。
とても小さい駅。地下鉄の駅みたい。
(六十三)
車内で知り合ったベネズェラの人と一緒に駅のインフォメーションに行き、安宿をチェックするが、結局途中で見つけた宿に一緒に泊まることにする。
やっぱりツインで泊まると安くすむ。
ベッドはユースホステルみたいだが、地理的には完璧な場所。
駅にも近いし、グランパレスにも近い。
朝食は隣のカフェで、シャワーも、共同だが使えるし、充分。
彼は英語が話せるので、久しぶりに英語での長い会話。
考えてもみれば、一時はずーっと一人旅だったけど、ここ最近、誰かと一緒に過ごす機会が増えた。
もちろん旅先で知り合ったのだから、目的も違えば、行き先も違う。
あくまでお互いの通過点で出会って、その時だけ一緒の時間を過ごすのだが、それがなんだか妙に、人と人との縁を感じる。
どこに行っても、自分は自分で、
だけど、変わろうと思えばいくらでもそのチャンスはある。
そんな気がする。
さて、ようやくベルギーまでやってきた。
(六十四)
この街に、昔友達が住んでいたのだが、そのせいか、なんとなく懐かしいような、ホッとするような、なんだか不思議な気持ちになる。
首都のクセにえらく小さい。
道路も石畳がほとんど。
建物は、アムステルダムのように縦に長い。のに、滑車はほとんど見かけない。
観光スポットもあんまりないし、一日あれば充分観光できる。
が、食べることとなるとそうはいかない。
食堂横丁というのがあるんだけど、
そこはまるで中華街さながら、シーフード料理やフランス料理の店が続き、夜にもなると、各お店の客引きのお兄さんたちが頻繁に声をかけてくる。
それほど高いというわけもないので、がんばれば二日に一度はフルコースでディナーが過ごせるんじゃないか、というすごいところ。
今まで通ってきた街とは、どことなく雰囲気が違う。
この街にいると、「ベルギーだなぁ」って思う。
なぜか。
いくら安いといっても、やはりフルコースを食べるような贅沢は許されない。
ということで、グランパレスに出て居酒屋探し。
ベルギーといえば、ビールだ!
(六十五)
宿から歩いて2分くらいのグランパレスの入口付近に、ガイドブックにも出ていた、安くて、ビールの種類がたくさんあるお店がある。
早速、行ってみる。
混雑した店内に入ると、それでもすぐに席に案内してくれる。
雰囲気は、どことなくロンドンにあるようなパブに似てて、それよりもっと広く、また、明るい。
テーブルの上に、ビールのメニューが置いてあり、早速と思って見てみると、どこまでビールなのか判らないくらい、いっぱいある。
…これ全部、ビール??
試しに一つ頼んでみると、それぞれ、ビールの種類によってグラスが違うらしく、また飲み方も違って、ボトルとグラスを持ってきて、その場でグラスに注いでくれる。
美味しい!!
聞いた話では、なんでもそれぞれ修道院によって個性や素材が違って、だから、修道院の数だけビールの種類があるんだとか。
できれば全制覇したいが…残念ながら今回は一杯程度で断念。
次来た時には是非挑戦しよう、と心新たに店を出る。
この国の言語は、主にフランス語。オランダ語と英語も通じるみたいだが、母国語は何だか判らない。
ある意味、誰とでも何語でも話せるから、とても安心だし、オープンさを感じるのだが、
反面、なんとなく意味深気に思う。
天気もあまりよくない。
そして寒い。オランダより寒い。
治安はそれほど悪くない。
こうして夜出歩いても、さほど不安は感じない。
この街にはまた来たい。
(六十六)
食べ物も美味しいし、ビールも美味しいし、綺麗な街並みだし、治安も悪くないし、物価も安い。
また来よう。
そういうことが許されるのが、今回の旅のいいところだ。
さて、ブリュッセルを後にし次に向かうのは同じベルギー国内の、ブルージュ。
ブリュッセル中央駅は、まるで美術館さながら、壁面に様々な彫刻が施してある。
ウロウロするほど大きな駅でもないが、駅に必要なものは、コンパクトに収まっている、実に機能的な駅。
いい。余計なものがない。
11:21、定刻通り中央駅発。
12:17、ブルージュ駅着。
近いんだ。一時間かからなかった。
駅前の雰囲気から、ホテルなんかなさそうな感じだったのだが、旧市街の入口に「HOTEL」の看板を見つけて、ホッと一息。
明日は朝早いので駅のそばにしようと思っていたから、ちょうどよかった。
階下にレストランをしつらえ、まるでペンションのような雰囲気で、愛想のいいマダムが、部屋とバスルームと非常口を教えてくれる。
ついでに、
「明日朝早いから…」
というと、
「じゃあ朝食はどうするの?」
「だから、いらないです」
「ダメよ食べなきゃ」
「いやでも早いから(迷惑だろうし…)」
「それならパッキングしてこのドアの前に置いといてあげるから、それを持っていきなさい。道中食べればいいわ」
「え、いいんですか?」
「見送りはできないけどね」
人の助けがなければ生きていけない。
またここでもそう思う。
外は寒いが、中は暖かい。
これもまたいい。
約2ヶ月ぶりにバスタブに浸かって大感激。やっぱり風呂上りにはビールだよな、この気持ちは日本人にしか判らないだろうなぁ、と独りゴチる。
ブルージュは観光地だから高いよ、と聞いていたが、それほどでもない。
(六十七)
駅を出ての感じは、なんとなくだが、ハーメルンを髣髴とさせる。
広いんだけど、閑散。
ところが、旧市街に入ると一転、まるで中世の頃にタイムスリップしたような錯覚を覚える。
レンガ造りの家、街並み、石畳の道…
道は複雑に入り組んでいて、手に持つ地図もはっきり言って当てにならない。
が、まぁ、小さな町だし、ストリートの表示もしっかり出てるので、迷子になったところで高が知れてる。
小雨振る中、日曜日ということもあってか、ほとんどの店が閉まっている。
観光名所もまた、オフシーズンのせいか開いている時間が短い。
それでも、時折馬車などが街の中を走っていき、観光地ではない普段のこの街に触れることができたような気がして、結構楽しい。
夕食を、宿のレストランで取った後、
今日でヨーロッパ大陸ともお別れだ、明日はドーバー海峡を渡りイギリスに行く、だったら、最後に乾杯しようじゃないか、と、
同じ店内にあるカウンターに移動、宿の主人と呑みながら閉店まで話す。
どうやらここの宿は日本人観光客も多いらしく、
「でも、みんな二人か三人連れだね。決まって若い子が多いよ」
と。
その他、いろんなことを話してくれたり話したり。
久しぶりに誰かと酒を呑み、おしゃべりし、これが結構楽しい、と純粋に思えることがまた新たな発見。
そこに、主人の友人がやってきた。
身なりからすると、どうやら、ポストマンのようにも見える。
三人で話し始めると、
「いや、これからまた22:15から仕事なんだよ、だからそんなに呑めないんだ」
と。
これから仕事とはそりゃ大変だ、
と、そのご友人は立て続けに三杯くらいビールを煽る。
「大丈夫なの?」
「大丈夫だよ、こんなの水みたいなもんさ」
と言い残し出て行った。
「いつもああだ」
だと。
明日はロンドンだ、友人にも会える…、こうして、心地よい眠りにつく。
(六十八)
翌朝、7:56発の電車に乗るため、無理矢理起きる。
しまった、調子に乗って呑みすぎた、二日酔いだ、体の中にまだ酒が残ってる。
それでも船の時間もあるし、それに船でドーバー海峡渡るなんて初めてのことだから、不安もあるし、できれば早めに行っといたほうがいい。
と、ドアを開けると、紙袋が置いてある。
なんだ? と思って中を見ると、サンドイッチが二切れ。
あ、そっか。
正直期待してなかった。
でも、目の前にこうしてあるとなんだか嬉しくて、大事にそれを持って宿を出る。
外に出ると、まだ真っ暗。でも人々は既に活動を始めている。
7:56、ブルージュ駅発、オーステンドまで。
8:10、リュックを降ろす間もなく、オーステンド到着。
ここから、船に乗る。
予約も何もしてないけど、大丈夫なのかな、とかなり不安になりつつ、出航時間が迫り来る中ギリギリでチケットを手にし、なんとか乗り込む。
よかった、間に合った。
天気が悪いから欠航になったらドウシヨウとも思ってけど、なんとか大丈夫な様子。
ジェットフィル、というらしく、ホバークラフトみたいな感じの船。
これがまたものすごく揺れる。
その激しさ、下手なジェットコースターよりもスリル満点。満点じゃなくていいのに。
そして、忘れかけていた二日酔いが瞬時に思い出され、あっという間に気持ち悪くなる。
時刻表によると、9:05にはドーバーに着く。ほんのちょっとの辛抱だ、と、目を瞑って、揺れに体を任せて眠ろうとしたその瞬間、
それまで轟音のように船内に響いていたエンジン音が、フッと静かになる。
あれ、と思って目を開けると、縦にそびえる海が、真横に、目に飛び込んでくる。
と、波に乗れたらしく、またフーっと正常の状態に戻る。
どうやら大波に呑まれて、船が真横になってしまったようだ。
船は、定刻の9:05を過ぎても、一向にドーバーのドックに接岸される様子はない。
(六十九)
大丈夫か? 自分…
ようやく到着。腕時計を見ると、10:15。
おいおい、一時間以上の遅れかよ…と、海の向こうから大切に持ってきたサンドイッチ入りの紙袋を手に、外に出て、パスポートコントロールに向かう。
すんなり通るかと思ってたら、割といろいろ聞かれる。
ロンドンの後はどこに行くのか、
日本では何の勉強しているのか、
とか。
さらには、手持ちのお金と、日本に帰るための飛行機のチケットまで提示を求めらる。
そしてようやく入国。
さて、接続の電車あるかな、と思って時計を見ると、9:30過ぎ。
あれ? と思って腕時計を見ると、10:30過ぎ。
そうか時差があるのか。
9:40、ドーバーウェスタンドック駅発。ヴィクトリア駅まで直通な上、ノンストップという、まさに専用列車。
船の気持ち悪さを持続させたまま電車に乗ると、これがまたよく揺れる。
ただ、電車の揺れは慣れている。むしろ懐かしい。
そして思う。
二度とドーバー海峡は船では渡らない、これからは飛行機にしよう、と。
車内爆睡のまま、11:08、ロンドン・ヴィクトリア駅に到着。
駅の公衆電話から、友達に連絡を入れる。
どうやら待っていていてくれたらしく、じゃあこれから迎えに行くから、何時ごろ何処其処で、と待ち合わせを決め、それまで時間があるからと大きなリュックを手荷物預かり所に預け、街にでる。
近くでコーヒーを買い、公園のベンチに腰かけ、ブルージュから持ってきたサンドイッチを頬張ると、なんだかとても懐かしい味がする。
手作りの味だ。
空を見上げ、街並みを見て、地図を見なくても判る場所へ、切符の買い方も知っている地下鉄に乗る。
1月20日。
帰ってきたんだ、ここに。
ここから出発したんだ。
あれからどれくらい経ったんだろう、いや、自分が思ってるより、時間は経ってない。
でも、自分の中では、もう何年も経っているかのような、ものすごく懐かしい感じがする。
全てはここから始まった。
(七十)
正確に言うと、2ヶ月と6日間。
12ヶ国25都市、歩き通した。
正直言って、よく続いたなぁと自分でもつくづく思う。
あちこちの都市を、はっきり言って、見てきたというよりも、通ってきた。どこに行っても、もう一度…と思い、短い滞在でその街を去ることになった。
大目玉の観光名所は見てきたが、ほとんど覗いた程度。
ただ、マイエンフェルトやハーメルンのような望んで行った街は、やはりはっきり思い出に残っている。
派手に一周して、割と度胸はついた。
今度はもっと一箇所に長くいたい。
そして、「今度は…」と思えるようになった自分にびっくり。旅の初めに「1月に日本に帰らないでいたら…」と言ったのを思い出すと、何とも不思議なものだ。
この二ヶ月間で、想像以上にいろんな人と出会い、話をし、聞いた。
日本にいては聞けない体験談や考え方がある、とつくづく思い知った。
そして、自分はなんと未熟なことか…と思う。
だから今は、逆にいろんなことを見たり知ったりするのも悪いことじゃない、ガキなんだから、まだまだたくさんミスして、恥をかいてもいいんだ、と。
焦るこたぁないさ、のんびりいこう。
皆さんが色々話してくれたこと、教えてくれたことは、すごいすごい励ましになった。
会えてよかったなぁって、本当に思う。
日本を離れなければ絶対に会えなかった人たちに、もう一度会いたい、そして、そういう人たちに出会えただけでも、ヨーロッパを一人で歩いてよかったと、思う。
【1991年11月14日~1992年1月20日までに巡った国と都市】
・ハンガリー〔ブダペスト〕
・オーストリア〔ウィーン、ザルツブルグ、インスブルック〕
・スイス〔チューリッヒ、マイエンフェルト〕
・フランス〔パリ〕
・ポルトガル〔リスボン、シントラ〕
・スペイン〔マドリッド、バルセロナ〕
・イタリア〔サン・レモ、ローマ、ナポリ〕
・ドイツ〔ミュンヘン、ヴュルツブルグ、フランクフルト、ハノーファー、ハーメルン、ハンブルグ〕
・デンマーク〔コペンハーゲン〕
・オランダ〔アムステルダム〕
・ベルギー〔ブリュッセル、ブルージュ〕
・イギリス〔ロンドン〕
☆ ☆ ☆
1月20日。
夕方、汚い格好で、髪もぼさぼさで、ヒゲぼうぼうで、大きなリュック背負ってる自分に友人たちが笑いながら声をかけてきた。
痩せたんじゃないか、
ドーバーを船で渡るなんてどうかしてるぞ、
と、久しぶりに日本語を耳して、行きつけらしい日本料理屋に連れて行かれる。
久しぶりの、和食。
その味噌汁に、思わず涙が出た。
(続く)
0 件のコメント:
コメントを投稿