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2005/12/03

世界地図を広げると②

(十一)
ザルツブルグを出て、インスブルックに行った。
アルプスの山間の中を通っていくような錯覚を起こすほど周りには自然が溢れている。
そして寒そう。
途中、凍ってる小さな滝を発見。眼を疑う。
ポツポツとある家には必ず煙突があって、そこから暖かそうな煙が絶え間なく続く。家の中では一体どんなことが行なわれているのか、どんな会話が飛び交っているのか、想像しても浮かぶのは自分の実家のことばかり。ヨーロッパの家庭の会話なんて想像もできない。

インスブルックで、アルプスの中腹に昇った。
眼下にうっすらと雲が広がり、隙間にインスブルックの街並みが見え隠れする。
自然の織り成す美しさに動けなくなる。
あの景色は今でも簡単に思い描ける。

インスブルックに1泊、すぐにチューリッヒに向かう。

チューリッヒで初めてユースホステル(YH)を利用。
スイスという国は比較的…というかかなり交通の便がよくまた外部の人間にも判りやすく、躊躇なく利用できる。
だからユースホステルを利用してみようと思った。
ユースホステルを利用するには、国際学生証というものと、ユースホステルの会員証が必要になる。
あらかじめ日本で取得していったのだが、ようやくそれを使えるときが来た、と、心踊った。

ユースホステルは大体どこも駅から離れた場所にある。
チューリッヒの中央駅からトラムという乗り物に乗ってユースホステルに向かう途中、若い男の人が、子供連れの女性に助けの手を差し伸べた。
バスのステップに昇る際、一緒にベビーカーを持ってあげたのだ。
また、別の男性は、年配の方が乗ったとたん席を立ち自分の席を譲った。
いずれも援助を受けた側は、素直にありがとうございますと言い、援助をした方は、当たり前のことです、という笑顔をしていた。
回りの乗客も、それが当たり前の風景として、捉えている。
それが、普通だった。

なんてステキな街なんだ、と思った。

(十二)
当たり前のことを当たり前にやる、これこそ難しいことなのかもしれないのに、それをいとも簡単にやってのけてしまう。
自分もこういう風になりたい、と思った。
もちろん現実はそう甘くないが。。。


ユースホステルで同室になったのは、ドイツから来た大学生だった。
ドイツ人ではなく、イスラエル人だった。
彼は、英語ができず、僕はドイツ語ができない。
お互い辞書を片手に、一生懸命、身の上を話す。
彼はドイツに留学中で医学を学んでるという。医師免許を取って国に帰り、少しでも国の役に立ちたいのだと言った。

話の途中、急に彼は床に簡単なマットを敷き、何度か同じ方角に頭を下げた。
「僕はモスリムなんだ」
一通り終わって頭を上げ、マットを畳みながら言った。
「だから一日に何度かお祈りするんだ」
「(海外にいるのに)方角まで判るものなのか?
「ああ、それはまぁ適当なんだけどね」
二人同時に吹き出した。
そして、日本人の宗教観の話になった時、彼は、何でもいいから宗教は持った方がいいよ、と言った。
「宗教があると、人生の目標が判りやすくなる。だから、自分の信仰できる宗教を見つけなさい」

今でもその真意は判らずにいる。

しかし彼は自分の宗教を押し付けたりはしなかった。
あくまで自分が信じているだけで、大事なのは、信仰心であって宗派ではない、とでも言いた気だった。

初めて、自分の宗教を考えた。

いや、自分の、というより、日本のもしくは日本人の、と言ったほうがいいか。
自分はなんだろう、仏教かな、いや違うな、ピンと来ない。
どちらかと言えば、八百万の神だ。

しかしまさか、外国にいて、自分の宗教を考えるとは夢にも思わなかった。


チューリッヒ滞在は3日。その間にマイエンフェルトという町に行ってきた。

(十三)
マイエンフェルトという町は、あの「アルプスの少女ハイジ」の故郷だ。
正確に言うと、ハイジはマイエンフェルトのライン川対岸にあるバート・ラガーツ(バートは温泉の意)で生まれたが、
訳あって3才の頃ハイジのおじいさんであるアルムオンジに引き取られる。
ハイジの育った山小屋は、マイエンフェルトから数km先のデルフリ村からさらに数km先の山の中腹にある。
ハイジはおばのデーテに騙され、マイエンフェルトからフランクフルト行きの列車に乗らされるのである。


さて、実際眼にするハイジの故郷、もっと、スイスやアルプスのイメージがあったのだが、
行ってみると、かなりドイツっぽかった。
シーズンオフなのか、あまり人はいない。
しかし、町中から高原の方に歩いていくと、だんだん、アニメじゃなく生のハイジになったような気になってくる。
実写版ハイジだ。
(確かチャーリー・シーンがペーターを演じた映画があったと思うがまさしくそんな感じ)

天気は抜群にいい。でも、一人ぼっちのせいか、かなり寂しい。

これが忙しい合間を縫ってやってきたのならきっとリフレッシュできるんだろうが、元来忙しくもなければヒマを持て余してもいる。
とりあえず散歩を楽しんだ後、駅へ逆戻り。
のんびり電車を待つことにする。

チューリッヒに戻ったら夜行でパリ入りだ。ウィーンも良かったが、チューリッヒも過ごしやすいなぁ。
そんなことを考えながら、誰もいないホームで電車を待つ。


パリ行夜行列車の出発時刻までチューリッヒ駅の待合室で過ごす。
時折、怖そうな自警団というか警察というか、そういう感じの人たちが入ってきて、パスポート提示を要求される。
やだなぁ怖いなぁ早く電車来ないかなぁ
時計を見ると、まだまだ時間はたっぷり。
仕方ないので、ガイドブックを開いて、パリでの行動をもう一度イメージする。

まずは宿だ。それが決まれば後はなんでもいいや。

なんとなくパリの地図と地下鉄の路線図を頭に入れる、が広すぎてまったく役に立ちそうもない。
考えてみれば、こっちに来てそんなに大きな街に行くのは初めてじゃないか?
パリっていったら東京みたいなもんだろ?
それを一晩で把握しようなんて無茶だ。


実はパリにはあんまり興味がなかった。

(十四)
しかし、父親がなぜかパリ好きでさんざん話をされたので、とりあえず行ってみることにしただけだった。

夜行列車は、初めてだった。
こっちでの列車の旅に慣れるまで遠慮していたのだ。
いつものように一人でコンパートメントを独占しゆっくり寝れるかと思っていたら、車内はかなり混み合っておりコンパートメントにある座席数いっぱいに人が座っていた。
仕方なく空いてる席に座る。
なんとなくみんなが、どこから来た、という話題になった。
その中の一人、アメリカ人の女性がいて、一時期厚木に住んでいたという。片言の日本語を話すが、ホントに片言だしこっちの英語も片言だからちっとも会話が続かない。
逆にその会話に他の人たちが英語で入ってくる。
こんな中で一晩過ごすのか、と思うと少々うんざりしたが、それは他の人も同じ思い。
迷惑かけないように気をつけながら眠ることにする。

途中何度もパスポートとチケットのチェックで起こされる。
こっちもイヤだが、車掌さんもイヤだろう、しかしこれも仕事だ。

早朝パリに到着。
車内にいたあの大勢の人は一体どこへやらという感じで霧の中に一人佇む。
とりあえず、インフォメーションで宿を探すが、どこもかしこも高すぎてとても手が出ない。
仕方ないので、ガイドブックで見たユースホステルに行ってみることにする。
幸い地下鉄も判りやすいし、目指すYHも駅の近く。
チューリッヒで、冒険してYHに泊まっておいて良かった、と心底思い自分に感謝する。

駅から歩いてすぐのYH、かなりの人気らしく、朝早かったのにもうほとんど満室、ぎりぎりでベッドをキープできた。
ホッと一息ついて荷物を降ろす。
窓からの景色が、ああやっぱりここは都会だなぁと思わせる。
まだまだ目覚めそうもないパリの街の中を、人々は仕事場へと早足で向かっている。

差し込む太陽の光が、街の翳に潜んでいた靄霞を一掃していくとようやく目を覚ますパリ。
午前11時頃。


冬のパリの朝は遅い。

(十五)
早朝パリのど真ん中に放り出され、なんとか宿を決め、ホッと一息ついた頃ようやく街の温もりを感じ始めた。
とりあえずブラブラしてみることにする、が、ひょいひょい行けるほど狭くはないこの街。

どうしよう、困ったな。

仕方ないのでとりあえずルーブル美術館を目指す。
途中何か面白そうなものがあったらそっちにいけばいいや。

目の醒めた街は暖かい。
こんな大都会にいながら、のんびりと歩を進めることができる。東京じゃ考えられない。
これくらいゆとりを持って普段から生活できたらどんなに幸せだろう。


途中大道芸をやってる人たちにしょっちゅう出くわす。
ちょっと観ては次へ、ちょっと観ては次ぎへを繰り返してると、一つものすごく気になるものに出くわした。

指貫みたいな形をした石の上に、ピエロが立っている。
ラジカセから音楽が流れていて、それに合わせて、動いて踊って滑稽に魅せている。
最初は別になんとも思わなかったんだけど、よく見てると、実は指貫と人形の足が棒で繋がってる、そんな本物の人形のような気がしてきて、だんだん、人間なのか人形(おもちゃ)なのか判らなくなってきた。
こうなってくるともう芸がどうのこうのじゃない。
人間なのか人形なのか、これをはっきりさせなきゃ気がすまない。
よーく見てると、右足だけが必ず石に接着してる。
ははーん、右足に棒が刺さってるんだな。
するとその人形は、まるでこっちの心を透かしたみたいに左足を接地させて右足を浮かせる。
??
あ、じゃあ、電動で切り替わるようになってるんだ。。。ほー大したもんだな。。。磁石かな。。。
まぁでもできないことじゃないよな、うん。
少しずつ解明しつつ(芸人の策略に嵌りつつ)、きっと相当な時間見てたんだと思う。
曲の終わりがみえてきた頃、その人形は突然指貫の形をした石から降りてきた。
そりゃもうびっくりさ、だってこちとら人間だと思ったらよくできた人形だったっていう結論に達してたもんだから。
その時の驚きの顔といったら、きっと「してやったり!!」と思ったに違いない。
そのまま人形さんは歩いてこの風変わりな日本人の目の前まで来て(他にもギャラリーは結構いた)、ゆっくりと帽子を取ってお辞儀した、ところで曲が終わった。
普通の人間の動きに戻って、人間の息遣いに戻って、にっこり笑って握手してくれた。

なんか泣きそうになってしまった。

帽子にコインを入れようとしたら「いらない」と言われた。たくさん見てくれたからもうそれだけで充分だ、と。
その眼は言っていた。


思いもよらぬ芸術との出会いだった。

(十六)
そのまま彼についていって弟子入りしたくなるくらいお腹いっぱいになった。
芸術とはこうあるべきだというものはないけど、少なくとも今この瞬間心は動いた。
心が動かなければ、それは芸術とは呼べないような気がした。


フラフラと歩いてると、おそろしく近代的な建物が目の前にある。

今度はなんだ?!
なんだこれは!?

建物の入り口あたりはとても賑わっていて、絵描きがいっぱい客引きをしてる。
さっきの大道芸に感化されてしまったのか、普段は絶対描いてもらうようなことはしないのに、きっとすごいものを描いてくれるの違いない、これはまた衝撃を受けるぞ、と思って、描いてもらう。
そんなに時間もかからず、またお金も大した額ではなく、できあがった自分の絵を見てみると、なんとまぁ汚い顔のことか。
無精髭は伸び放題で、髪も伸ばしっぱなし。笑顔は立派だが…
それほど衝撃はない。
思ったほど大したことない。
ちょっとがっかりして、建物の中に入る。

ポンビドー芸術センター。


残念ながら覚えているのはここまで。
他にも行ったとは思うが、とにかくこの二つが大きな出来事として自分の中に残っていて、決して忘れることができない。
今、あの芸人さんはどうしているんだろう。
あの絵描きたちは、今も絵を描いているんだろうか。
判らない。
そして、あの時の日本人がまさか今俳優をやっているなんて、彼らは夢にも思わないだろう。
人生とはなんと不思議なものか。


駅で、リスボン行のチケットを買い求める。
長旅だ。
この列車に乗りたいがためにわざわざリスボンまで行く。


パリには、また来てもいいかなと思えた。

(十七)
プラットホームに立って列車が入ってくるのを待ちながら、次の地、リスボンへ思いを馳せる。
パリから電車で26時間。
前もって、食料品と飲料を買っておく。
もっとも、食料品といってもこの先何がどうなるか判らないから、そんなに買い込むことはできない。
お腹が空いて、何もなかったら、我慢するしかない。

まぁ何とかなるだろ。
我慢できなかったら途中で降りればいいや。


比較的空いてる車内に乗り込み、今度こそコンパートメントを独り占め。
買い込んだ飲み物と食べ物とタバコを取り出し、雑記帖を広げメモをとる。
長い旅だ。ゆっくり行こう。

あらかじめ買っておいた白ブドウの缶ジュースがものすごく気になり、我慢できずにプルトップを弾く。
おおいい匂いだ。

ゴクリ。

。。。ってこれワインじゃんか!!
え、ワイン?? 缶ビールならぬ缶ワイン?? うそー…

よく見るとちゃんとワインと書いてある。
…しまった…
これはちょっと呑めたもんじゃないぞ、ケチって一番安いものを買ったからか?
だって水より安いんだもん! そんなのがワインだとは思わないでしょ!!
基本的に酒は好きだがこれはちょっといただけない。

まずい上に金属の味がする。

口直しにタバコに火をつけて外を眺める。
映画に出てきそうな田園風景がずっと続く。焦ることもなく、慌てることもなく、ただただ目的地に向かって進んでいく。


しばらくフランス領が続く。

(十八)
外を流れる田園風景にも飽きてきたので、一番後ろの車両に行ってみる。
到着まで、時間はたっぷりある。
何をしていても絶対に慌てて下車、なんてことにはならない。本当に、気の赴くまま、思いつくままだ。


日本にいる頃は、急いでたと思った。
いつも背中を押されてたというか、お腹を引っ張られていたというか、とにかく焦ってたように思った。
こうして列車に乗ってると、時々その虫が疼いたりもした。
しかし、急いだところで別に何も変わらない。
遅れたところで、それこそ誰に迷惑をかけるものでもない。


一番後ろの車両まで来ると、連結部分が剥き出しになっていて、外に出られた。
まっすぐに前(後ろかな?)を見ると、今まで通ってきた線路が、ずーっと見えなくなるまで一直線に伸びている。

ずーっと、まっすぐに。

おそろしいほど何の変化もないまっすぐなこの道を、まっすぐに通ってきた。
迷うことなく、疑うことなく、時には早足で、時には停まって、そうやって、このまま進んでいくんだろう。たとえこの先曲がり角があったとしても、逆らわずに、真摯に進んでいくんだろう。
…当たり前だ、列車だもん…

すごく愛しく思えた。


もうすぐ国境だ。

(十九)
フランスとスペインと、実は線路の軌道幅が違うため、車両の土台を交換しなければならない。
ガイドブックで見て知ったのだが、それはぜひ体験せねばと思っていた。

国境駅に着くと、かなりの乗客が下車する。
ちょっと不安になって、(降りなきゃいけないのかな)なんて思う。
通りかかった車掌さんにチケットを見せリスボンまで行く旨を伝えると、時間かかるけど構わなければ乗ってていいよ、と言われた。

ふーん…、乗ったままでいいんだ…

と、とりあえず座席に落ち着くけど、でも落ち着かない。
というより、交換するところを見たいのだ。
だって考えてもみれば、あんな大きな車体の土台をどうやって交換するんだ? クレーンかなんかで持ち上げて交換するのか? いやいやそんな無茶な…
なんてことを想像しながら、その時を待つ。
というのは、絶対に何かしら大きな動きがあるとふんでいたからだ。
乗客に何も振動を感じさせずに交換するなんて有り得ないという先入観がそういう思いに走らせた。

ずいぶん時間が経ってから、そう、大体2時間ぐらい経ってからか、列車はいきなり、がくんと動き出した。
きた!! いよいよだ!!
急いでコンパートメントから廊下に出て窓を下ろし外を見る。
さあ、そうするんだ!?
すると、ゆっくりとだが、列車が進行方向に向かって動き始めている、しかもだんだんと加速しながら。

あれ??

交換はとっくに終わっていた。
スペイン国内に入り、横断し、終着のポルトガルはリスボンへと向かうために動き出したのだった。

…しまった…見逃した…



太陽もすっかりと沈み、辺りには夜の帳が下りてきていた。翌朝にはリスボンに着く。

(二十)
失意の内に眠りについて、目が覚めたのは、その暑さでだった。
寝ぼけ眼で時計を見ると、まだ到着まで1時間くらいある。
どうしよう、二度寝するか、と思ったが、暑くてその気も失せてしまった。
大きく伸びをして、コンパートメントの外に出ると、一人の男性が、窓を開け涼しげに立っていた。
見ると、小奇麗にしていて、すっかり準備OKって感じ。
今どこら辺を走っているのかも判らないので、もうすぐ降りるんだな、なんてことを普通に思っていたら、「おはよう」と挨拶された。
「おはよう」と挨拶を返し、トイレに行く。
ふと気になって、トイレの帰り際、
「すみません今何時ですか?
と聞いてみた。

思えば、ずいぶん度胸がついたもんだ。
ちょっと前なら、いちいち頭の中で文章を考えて、一度練習してから、かなりの勇気を振り絞って声をかけたものだが…

「今ね…」
と時間を知らされて、びっくり、もうすぐリスボンに着くじゃないか、という時間。
慌てたような、煙に巻かれたような顔をしていたのか、その男性は笑って、
「時差があるから」
と教えてくれた。

なんてこった。

一気に目が覚めて、大慌ててで下車準備を始める。そうこうしているうちに、リスボン駅到着。
やばいやばい、とりあえず、マフラー巻いてコート着てリュック背負って飛び降りる。手袋は降りてからでいいや。

終着駅だから慌てることはないんだけど、予想外のことに相当気が動転していた。
プラットホームに降り立って、一度リュックを下ろしホッと一息つく。

…暑い…

手袋要らない。マフラーもいいや、っていうかコートも要らないぞ。ああ、でもコートはリュックに入らないな、じゃあセーター脱いでしまおう。

プラットホームで荷物の詰めなおし。
ようやく身軽になって、辺りを見回し、街へと繰り出す。


間違いない、ここは南国だ。


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