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2005/12/19

世界地図を広げると④

(三十一)
それもまた縁だ。

翌日、サン・レモ駅のホームの滑り込んでくる列車に乗る。彼らはフランス、こちらはイタリア。まったくの正反対。
本当なら、昨日、この列車に乗ってローマに行くはずだった。

別れの時。


列車は地中海の海岸沿いを行く。
地形的なことから、トンネルが多い。山や断崖を通ってきたことが、トンネルを抜けるとすぐに判る。
それ合わせ、昔のままの街並みが見え、まるで中世の頃みたいな錯角を覚える。

どこに行っても感じたことだが、自然と人とが共存している様を見せ付けられると、自然の偉大さとともに、人間の持つ知恵と感性にも感動を覚えずにはいられない。


車内でのチケットチェックは二度。
今回は車内販売がある。駅のホームにも、カートに色々積んで、電車が着くたびに大声を張り上げる。
こういうのは日本でも最近見かけなくなったが、ヨーロッパではイタリアが初めて。
田舎な感じもするが、それでいてやはり文化的。


揺られること6時間以上。
ようやく、ローマ・テルミニ駅に到着。今頃あの家族はどうしてるだろう、ニースに行ったのかジュネーブに行ったのか、いずれにしろ、縁があればまた会えるだろう。

気合入れて宿探し。
ガイドブックにも載っていた安宿を求め、地図を片手に街に出る。さすがに都会で、人も多く、また賑やか。
さすがに慣れたもんで、車内である程度地図を頭の中に叩き込んでおいたせいもあって、あまり地図に頼らず、割とすぐに見つかる。

でも、5階…

重いリュックを背負って階段を上ると、派手なドアがあった。
ドアを開けると、お兄さんが、まるで我が家にでも迎え入れてくれたように寄ってくる。
「シングルバスなしで。」
と言うと、
「今はバスなしはないなぁ…何泊するつもり?
2泊。」
「じゃあ明日バスなしに替えてやるから。」
というと、本来43千リラを、値切ってもないのに、4万リラにしてくれる。
ここにはよく日本人客が来るらしく、このお兄さんも少しだけ日本語を話す。

宿が決まって一安心。今夜は一人だ。

(三十二)
さて。
花の都・ローマ。
このローマに来るために、結局二日近くかかったことになる。
でもそのおかげで、貴重な経験ができたし、また、出会いもあった。出会いがあるから別れがあり、また別れがあるから出会いがある。そんな言葉を思い出す。


「ローマ三越に行きたいんですけど…」
テルミニ駅の目の前で、日本人女性3人組にいきなり声をかけられた。
「え?? いや今着いたばっかりだから…」
そんなに知ってるふうに見えたのだろうか。
「日本人多いですか?
「多いですよ、よく見かけますし。」
その言葉通り、荷物を宿におろして街をふらついていると、日本語で書かれたメニューが通りに出ている。
ほう、と思って中を覗くと、見事に日本人ばかり。

「どうぞ! お入りになって!
店の中から、女将さんと思しき女性が威勢よく声をかけてくる。入るつもりはなかったが、その勢いに負けて恐る恐る中に入ると、
「混んでてごめんね、空いてる席に適当に座って!!
そうか、日本人が経営してるのか、通りで日本人が多いわけだ。
まるで東京と変わらないその雰囲気の中で、もちろん料理は美味い、それでもだんだんうんざりしてくる。
「団体さんは珍しい。いつもは大体個人客ばかりなんですよ」
と、お酒とサービス料をサービスしてくれる。

世界で活躍する日本人は、何もスポーツ選手や有名人ばかりではない。
こういう世界で活躍してる人もいるのだ…いや、きっと知らないだけで、もっといろんな分野で活躍されてる人が多くいるのだろう。
日本の外で、日本を見る、感じる。


日本では決して味わえない感覚。そして、決して知ることのなかったであろう事実。世界は繋がっている。

(三十三)
ローマの街は、やっぱり、というのか、ファッション関係のお店が多い。
特に皮革製品。
なんだか、パリよりもすごい独特さを感じる。ショーウィンドウには、まるでそのお店のオリジナルのような、そういう印象をさえ受けるものがたくさん並べられている。


とあるお店に入った時に妙な違和感を覚えて、思い切って店員さんに質問してみた。
午後3:30。外はまだ明るい。
「みんな(店員さん)、『ボナセーラ』って言ってるけど、なんで??
イタリア語で『ボナセーラ』は、『こんばんは』という意味。
時計を見ると、まだ午後3:30。もちろん外はまだ明るい。でも間違えて言ってたり(当たり前だ)、冗談で言ってるようにも見えない。
「あら、あなただって『こんにちは』『こんばんは』って言うでしょ?
「いや、言うけど…でも外はまだ明るいし、決して夜とは言えないと思うんだけど…?
「私たちイタリア人は、『ボンジョールノ』と『ボナセーラ』しか言わないのよ。英語だと三つあって、ちゃんと時間で決められてるでしょ。『Good Morning』『Good Afternoon』『Good Night』って。だけど『ボンジョールノ』と『ボナセーラ』は、適当なのね、それで夕方ぐらいになると『ボナセーラ』って言うの。時間の区別がないのよ」
と。

そのおばさんも、決して英語を自分の思い通りに使えるわけではないみたいで、
だいぶ端的ではあるけれども、なんとなく判る。

ナルホドそうか、と言ってみたところで、イタリア語が話せるわけではないけど、比較の対象として英語を使うのは面白い。
日本もそうだし。
それだけ英語が世界に強い影響を及ぼしていることが感じられる。
どこの国へ行っても必ず、
Can you speak English?
と聞かれたり言ったり。
そういうものなのかな。


結局何も買わなかったが、笑顔で店員さんに見送られ、まだ明るいローマの街へと出る。

(三十四)
店の方ばかりに気を取られていて気付かなかったが、街の中の建物が、これまた非常に芸術的で、まるで中世のヨーロッパにタイムスリップしたような感覚を覚える。
見るものも多いが、驚くことも多い。
今後北上していくために、多少買わなければいけないものもあるので、観光はまた次回だなぁ、と思いつつ街中を歩く。

安宿も見つけないと。

一軒、すごく気になっていた店があって、そこに再び立ち寄る。
お目当ては、革ジャン。
本当はレディースなんだそうだが、普通に着れるし、またデザインも革の質も申し分なく、何度か試着させてもらって、ついに購入を決意。
もちろん決して安いものではないが、この先、革は必需だろう、とかなり思いきった。


そして、いよいよドイツへ。
まずはミュンヘン。ここには、友達(日本人)がいて、その友達の友達(ドイツ人)がミュンヘンに住んでおり、クリスマスに時期に、みんなで一緒に過ごすことになっていた。

ローマ・テルミニ駅に行くと、思いの外人が多く、車内に乗り込んでも、狭い通路を大きな荷物を持った人で大パニック。
仕方ないか、クリスマス直前、今日は1221日(土)。
今まで、すいている車内ばかりを経験していたから、逆に、これほど混雑している車内での席確保は初めて。
四人家族が占めるコンパートメントにお邪魔させてもらって、一安心。
ちょっとおしゃべりしながら、眠りにつく。

4:15am BOLZANO
窓の外を見ると、一面真っ白。雪が降っている。寒いわけだ…

7:00am INNSBRUCK
懐かしい。ここもやっぱり雪に埋もれている。さすがに降りる人も多い。そして、北上するに従って朝が遅くなる。

9:05am MÜNCHEN


いよいよドイツにやってきた。

(三十五)
ここにきて、初めて、普通の家族の家に泊まり、果たしてどんなものかな、と思っていたが、思いの外、というよりは、だんだん慣れてきて、結構過ごしやすい。
お世話になる家、KIRMAYERさんのおうち。
初対面にも拘らず、パパもママも、何のこだわりもなく接してくれる。


ミュンヘンの街は、空に厚い雲がかかっているせいか、全体的に灰色のイメージが浮かぶ。
それでも時々雲の合間から晴れ間を見せ、その美しさは、やはり見事としかいいようがない。

ヨーロッパを歩いていて、晴れていると気分も晴れるのは、どこの国でも同じ。

冬がこんな感じだから、春が待ち遠しいのかもしれない。
早く春が来ないかなぁと思う。


ずっと一人旅を続けてきて、旅行中は初めて、そして久しぶりの家族の感触を味わう。
ドイツ人家庭がどこもそうだとは言わないが、KIRMAYER家は、家族同士の会話がとても多い。
そして、食事が長い…というか、食事の後のおしゃべりが、かな。
気がつくと平気で二時間くらい経っている。

無論、何を話しているのかはさっぱり判らない、こんなことならドイツ語をもっと勉強しておくべきだった、となかば後悔。
でも、休みのせいか、家族が全員家にいるので、非常に賑やか。
それが、とても輝かしく、また幸福感に満ち溢れている。


この家に来てから、ほとんど表に出ないので家族みんなが心配しているらしい。

(三十六)
この家には、長男と長女がいる。
長男のマーティンは21歳、長女のダグマー17歳くらい、大人っぽいし精神年齢の高さを感じ、非常に驚く。


いつもは、駅前もしくはその近辺に宿をとる。
ガイドブックを見たり地図を見て、あちこち歩き回るが、ここは普通の家。
駅からも離れてるし、また、出かけるといっても、果たしてどこに何があるのか、道も判らなければ地図もない。
逆にホテルと違って部屋から出る必要もないので、その安心感と自由さから、つい家から出ずに過ごす。

どうもそれが、心配の種らしい。

こちらとしては、ゆっくり部屋にいられること自体とてもラッキーなことなんだけど…。


使わせてもらった部屋は非常に広く、客間というよりは、書斎に近い。

時々、ダグマーが学校のレポートを書くのに部屋にあるパソコンを使いに来る。
パパは学校の先生だとか、それにしては広い大きい家。
学校の先生は、儲かるらしい。


日本とはえらい違いだ。

(三十七)
数日そうして過ごし、なんとなく街も家の中もそわそわしだし、クリスマスが近いことを知る。

夕飯の時間には、家族みんながリビングに集まり、ワイングラスを傾けて、でっかいチキンを食べて、ソファでくつろぐ。
暖炉の前には、大きなクリスマスツリー、その下には、たくさんの、包装紙で包まれたプレゼント。
パパが葉巻をくゆらせながら、さてそれではお祝いをしよう、とばかりに、みんなでプレゼント交換を始める。

へぇー本当はこうなんだぁ、と実に楽しくその光景を眺めていると、唐突にパパが、
「はい、これは君へのプレゼントだ、メリークリスマス」
と小さな包みを渡された。

すごく驚いて、イヤだってもらえないよ、と遠慮していたら、君はもう家族なんだから、と。

あぁ、これが人が人である所以なのかなぁ、としみじみする。
開けてみると、陶器のアルコール用ランプ。

プレゼントの中身よりも、その気持ちが嬉しくて、何度も何度もお礼を言う。
家族という言葉が嬉しくて、思わず、日本の自分の家族はどうしているだろうと想いを馳せ、ああ、きっとこういう時間なのかな、となんとなく思ったり。

そうして、のんびり過ごしていると、唐突に、さぁ行こうか、と。
??
家族全員が、さも当たり前のように準備を始め、すぐに出かけようとする。

時計を見ると、22:00。一体どこへ…


外に出ると、さすがに寒風吹きあられ、寒い。うっすらと雪も降ってる。
みんなでざっこざっこと歩いていると、街頭あちこちで知り合いに出くわすらしく、皆が挨拶を交わし、そして共に移動していく。

その先は、この町の教会。

22:30から教会でミサがあるという。
なるほど。
中に入ると、多くの人が集まり、寒い外とは比べられないくらい、人の熱気で温かい。
やがて、ミサ曲が歌われ、神父さんが聖書を読み上げる。
その間にも続々と人が集まってくる。

映画や漫画では見たことあったけど、まさか本当だとは…と、その感覚に違いにあらためて驚く。
翌朝、10:30から、今度はもっと大きな街の教会でのミサ。

敬虔さが、骨の髄に響く。

クリスマスは、キリスト教徒にとって本当に神聖で、心からキリストの生誕を喜び感謝している。
教会の中にいると、そういうことがひしひしと伝わってきて圧倒されるし、感動もする。
今まで見てきた教会は、中に入ってもシーンと静まり返っていて、建物の装飾や描かれた絵などを見て感嘆するだけだった。
しかし、初めて、ミサを見、体験すると、教会が生きている、生きている教会に、今、自分はいる、と本物の教会を見たことに感動と感謝の思いが膨らんできた。

生のキリスト教。

それは、涙が出るほど、ジーンとくる…。

(三十八)
とにかくこの旅は、ヨーロッパを巡っているというのもあるんだろうけど、宗教と接する機会が多い。
それぞれの宗教があって、そこに対する想いがあって、そして信念がある。
個人的にはあんまり宗教とは縁がないし、むしろ毛嫌いする方なのだが、こういう風に本物と触れ合うと、そこにまた違う価値観が芽生え、そして正しい宗教観というのものが見えてくる。

この不思議さ。
この旅の一つの産物。

それを無意識に実感する。


さて、クリスマスも終り、日本ではそろそろ大掃除だの年賀状だの、新年に向けての準備が増す頃だが、
ここにいたっては、まったくの気配がない。

友人とこの家の娘とその友人と、計四人で、ナポリで年越しすることに、なぜかなって結構イヤイヤで、早々に汽車に乗り込み、元来た道を大逆走。
ミュンヘンからローマへ、そしてそのままナポリまで。

南下するにしたがって雪もなくなり、夜明けも早い。

友人たちは、大はしゃぎ。異様なまでに。
言葉ドイツ語も判らないし、なんとなくついていけなくて、この先、本当に大丈夫かな…と、気がつけば一人旅の習慣が身に付いている。
今までずっと一人で、
一人で何でもしてきた。
なんでもしなきゃいけなかったし、また、どうにでもなる、自分一人なんだから、と、どこかでこの考え方が定着していた部分もあったらしい。
それを他人と旅することによって自覚するとは。

ナポリに着くと、意外と日本人をよく見かける。考えてもみれば今は冬休み、なるほど多いわけだ。

決められた宿に入り、部屋に案内されると、床面にはタイルが敷いてある。
なんだか懐かしい。スペインやポルトガルでは、大抵床面がタイルだった。逆に、オーストリアやスイスでは、カーペットが主だった。季節感の違いが、この文化を生んだのかもしれない。

でも、やっぱりこの時期床がタイルだと、寒いのだ。



ここナポリで年の瀬を迎えることになる。

(三十九)
しかしまさかナポリとは。
別にどこで正月を迎えてもいいんだけどというか、どこでもいいと思ってはいたけど、逆にナポリの正月を見てしまうと、他の土地の正月も見てみたくなってしまった。
そう感じるほど、ナポリが独特なのか…それともどこもそうなのか…

街中では、普段から爆竹の音がすごい。
そしてそれに輪をかけて、大晦日は、あっちこっちでパンパン鳴りまくって、それはもう止まることを知らない。

新年を迎えた瞬間ともなると、知りたくなくても知ってしまう。
そこら中の建物の窓やベランダから、爆竹やら打ち上げ花火やらが、一時間ぐらい延々と続く。
窓から身を乗り出して街を見ると、その音もさることながら光も激しくて、何がそんなにめでたいんだ、と逆に興醒めしてしまうくらい異様な盛り上がりを見せる。

ふと窓の下を見ると、消防車が街中を見回っている。しかも絶え間なく。

なるほど火事になるのではないかという心配は、こんな旅人なんかよりもずっと先に街の人たちは気付いていたのね、と思わず苦笑い。

街中でお祭りみたいなのがあるらしく、でも、普段の数倍それが危険だということを聞かされて、おとなしく宿で新年を迎える。
ナポリだなぁ、と。
きっと、同じイタリア国内でも、場所によって色々違うんだろうな、と思う。

日本とはまったく違う正月の風景。
でもここにも間違いなくお正月を祝う人たちはたくさんいる。
形式はどうあれ、気持ちは一緒なんだなぁ、と、外から聞こえてくる音をよそに、しみじみと感じ入る。

一生の内一度くらいこんな正月があってもいいかな、なんて。

ナポリには危険が付き物で、「ナポリは危ない!!」と聞いていたけど、でもナポリにとってはそれが当たり前なんだ、そう感じた。

(四十)
実際に危ない目にあったわけではない。
ただ、ナポリはローマ以上にイタリアだなぁとつくづく思う。

街中を、上を見ながら歩いていると、建物の装飾の見事さに、ため息…
下を向いて歩いていると、あまりのゴミの多さに、またため息…

ナポリの街並みは、綺麗で汚い。

ふと街頭から外れると、意外とすぐ地中海に会える。

その美しさ。

そこからは、到底街中のゴミの多さと人々のそれを気にしない感覚は感じ取ることはできない。
透き通って海底が見える。
魚が泳いでいるのが、目の前で見ることができる。
この美しさが、果たしていつ頃から続いているのか、きっとこの先未来永劫続いていくんだろうと願わずにはいられない、その美しさ。

これを見ることができただけでも、ナポリに来て良かったと思える。

もう一つ良かったことは、物価が安いこと。
おかげで、この先北上するにしたがっての準備を、たっぷりとすることができた。
そして参ったことには、それらのお店が、午後一時半から四時まで、完全に「CLOSE」になること…仕事しろよ…。


そして、199211日(水)、ナポリからミュンヘンへ。


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