(四十一)
そして、1992年1月1日(水)、ナポリからミュンヘンへ。
翌2日ミュンヘン着、そして1月3日には、ミュンヘンを後にすることになる。
大きなリュックを背負って、最寄の駅まで長男のマーティンが車で送ってくれる。
途中、ママの経営するお店に立ち寄り、別れの挨拶。
数々のお礼、感謝の気持ちを伝え、また、ママも、息子のように抱きしめてくれ、涙をこらえての別れ。
いろんな人の親切が、特にヨーロッパに来てから身に染みているので、余計に、何も返していないことを思うと、なんだか辛いのだ。
なんにせよ、今日からまた一人。
ミュンヘンの駅で、朝日新聞と日本経済新聞を買って汽車に乗り込む。
目的地は、ヴュルツブルグ(Wurzburg)。
友達の紹介で行くので、何のガイドもなければ、知識もない。
それでも、先日までのナポリへの団体旅行がよほど不自由に感じていたのか、今は割りと楽しみでもある。
一人だから、どうとでもなるさ、と。
ハードな年の初め、この旅への準備はほぼ完璧にやったので、あとはどれぐらいお金を節約できるかにかかっている。
そしてそれもまた楽しみの一つ。
楽しみと思えるのもまた嬉しい。
この先しばらくは、ドイツ国鉄にお世話になることになる。
(四十二)
ミュンヘンから3時間くらいでWurzburgに到着。
正月三日にやってきて、安い宿を見つけようというのが無理なことなのか、そもそも安い宿がないのか(そんなわけはない)、どこも「CLOSE」という札がかかっている。
それでもなんとか宿を見つけ、案内されると、そこにはテレビはあるわシャワーのお湯もずっとお湯のままだわで大感激。
奇声を発して部屋中を駆けずり回る。
部屋の窓から、街がよく見え、その夜景はネオンで綺麗。
街全体が繁華街のようで、こぢんまりとした割にはとても賑やか。
品のいい街の雰囲気が、心を浄化する。
来て良かった、気に入った。
そう思い、ガイドブックに載っていなかったり、あまり知られていない街であっても(Wurzburgがそうだとは言わないが)、
その町それぞれに歴史があり、
民俗がある。
それは、きっと、来なければ判らないことだろう。
(四十三)
Wurzburgに二泊して、再びドイツ国鉄に乗り込むと、そこは久しぶりのオープンサロン。
こっちに来てほとんどコンパートメントばかりを利用していたからなんだか違和感を覚えるが、考えてもみれば、日本は全部オープンなのだ、とまた思い出しちょっと苦笑い。
程なくしてフランクフルト(Frankfurt)に到着。
駅から出て、宿探しのためにMunchener通りに入ると、呆れるほどたくさんホテルがある。
その一軒一軒をくまなく聞いてまわったのだが、どこのホテルも、60~90マルク…結局一番綺麗そうなホテルに決める。
オフシーズンだからか、どのホテルも空室ばかり、行けば必ず、
「ある」
と言われる。
が、さすがに大都会、安いホテルは少ない。
ツーリストインフォメーションで、日本語のパンフレットを二種類とホテルリストを貰って歩き始めるが、
こんなに歩いて安ホテルを捜し求めたのは初めて。
一概に、
「フランクフルトのホテルは高い」
とは言わない。
たまたま見付けられなかったのかもしれない。
随分がんばったんだけど…
でも、ここのホテルは値段に相応。
危険そうなホテルで85マルクとかあった…。
ただ…、布団と枕にはタバコの焦げ後が数ヶ所…
大丈夫かな…本当に心配…。
いつでも逃げられるようにして床につく。
(四十四)
翌朝無事にホテルで目を覚まし、動物園へと向かう。
人工的に夜と昼を逆転させて夜行性の動物を昼間見ることができるという、欧州随一と言われている動物園。
結構お客さんがいて、それなりに賑やかで面白い。
早速、夜行性の動物の館へと行ってみると、中はほとんど真っ暗。
そりゃそうか…
うっすらとライトが点いてる程度で(月明かり程度ってことか?)、目を凝らさないと、どこにその動物達が潜んでいるのかさっぱり判らない。
とはいえ、さすがに活発、ちょこまかと動くので、大体のディティールは判る。
じっくりと見て回り、気がつけば、14:00。そろそろ次の目的地へと向かうことにするか…、と。
フランクフルトといえばソーセージだが、もう一つ、
「Ebbelwei(エッペルバイ)」
という名の飲み物がある。
これは是非呑んでみたかった。
マイン河を渡ってザクセンハウゼン地区に入ると、変に静か。
居酒屋風の店がずーっと並ぶこの辺、よく見ると、どの店も閉まっている。
「…折角来たのに…!」
と思って歩いていると、一軒だけ開いている。
が。
怖くて入りづらい…。
「えーい、死んだつもりで…!」
と、その店に入ると、カウンターに五、六人の男の人が、チリチリバラバラにゲームをしている。
その中に、この店の女将さんみたいな人がいて、声をかけてきた。
「何に?」
随分ぶっきらぼうだな…
「エッペルバイが呑みたいんだけど…」
と英語で言うと、その女将さんはどうやら英語はあまりよく判らないらしく、怪訝そうな顔をしたが、すぐに「エッペルバイ」だけドイツ語だということに気がついたようで、
すぐに判ってくれ、グラスに入れてくれる。
目の前に出されて、グラスから、湯気がたっている。
…ん??!
そもそも「エッペルバイ」ってなんだ? って思ってた。
一口味わい、すべて納得。
「…ああ…! アップルワイン、林檎酒だ、ナルホドね…。…あ、Ebbelweiか…!」
結構度数が強い、でも美味しい。
店内を、恐る恐るゆっくり見回しながら(他の客は物珍しそうにこのアジア人を見ている)、グラスをちびちびやりながら飲み干す。
そして女将さんに、
「美味しかったです」
と言ってDM2払うと、女将さんはにっこり。思わずこっちもにっこり。
店内の雰囲気とはまた別に、「この店はいい」なんて思い、宿に戻る。いい思い出ができた。
(四十五)
翌朝、ハノーファー(Hannover)に向かうために中央駅に行き、予定していたICE(Inter City Expressの略)に乗り込む。
白い車体に赤い線の入ったこの列車、果たして本当にユーレイルパスで乗れるんだろうかとかなり心配だったが、まったく問題なかった。
ハノーファーもまた、安い宿が見つけにくい。
一番初めに行った、非常に感じのよいホテルがものすごく高くて、違う安ホテルを紹介してもらうと、日本で言うビジネスホテルみたいなところだった。
ところが、非常に混んでいて、一泊するのがやっと。
二泊したいと言うと、翌朝もう一度聞いてみてくれと言う。
困るなぁ…
中に入ると、まるでそこは研究所のよう。
学者っぽい人たちがたくさんいて、廊下で雑談している。
そういうのを耳にすると、なんだか自分もちょっと偉くなったような気分になる。
なんか学会でもあるのかな…と思いつつ床につく。
翌朝、豪華な朝食を済ませ、フロントに行くと、案の定追い出される。
仕方なく朝早くからおっきなリュックを背負って歩き回り、ようやく三軒目で空室を見つける。
ここもまた、決してツーリストが泊まるようなホテルではない。
リュックを背負ってエレベーターに乗ると、その不釣合いさがよく判る。
部屋に入るとそこは、通りに面しているせいか、市電や国電の走る音がよく聞こえる。
まるで、東京だ。
一段落して、早々に出かける。
ここハノーファーに寄ったのは、大きな目的がある。
ローカル線の時刻表を調べ、駅に向かい、向かう先は、ハーメルン。
(四十六)
ハノーファーから電車で45分くらいの所にある町、ハーメルン(Hameln)。
平野を走り抜けた所に、ポッと現れる街。
想像よりもずっと大きくて立派な街。
とある漫画に題材として取り上げられたことがあって、そこから、興味を持ち、どうせヨーロッパを回るならこのハーメルンには是非行こうと心に決めていた。
「笛吹き男」がいたという。
130人の子供が、突然行方知れずになったという実話を元にして作られたのが、「ハーメルンの笛吹き男」。
簡素な駅を降りて旧市街に入ると、意外にも、メルヘンチックで、どこぞのテーマパークを思い出す。
そんな感じで家がずーっと並び、でも、現実にここに人が住み生活しているそのギャップがまた不思議さを増長させる。
そして、なんだかホワンとした気持ちにもなる。
しかし、その行方不明になった子供たちのことを考えながら街の中を歩くと、どうにも恐ろしくなる。
空を、灰色の雲が覆う中世の、その当時のような気になり、ちょっと背筋がゾッとする。
メインストリートから、ちょっと脇道を覗くと、暗澹としていて、実生活の存在を感じずにはいられない。
いかにもそこから笛吹き男が出てきそうで、
そうだ、ここはテーマパークでもなければ、観光地でもない、現実の世界なんだ、と思う。
実際に笛吹き男の家というのもあった。
今は違う人が住んでいて、でも家の中が見物できるようになっている(もちろん有料)。
ごく普通。
一説によると、笛吹き男は、ジプシーで医者だったという説があるらしい。
昔、とある村近辺で天然痘が広がった。それを防ぐため、一人のジプシー医師が良性の天然痘患者を求め旅に出た。
彼はハーメルンにやってきて、何人かを治療しつつ、その中から良性の菌を持つ子供を選び、街を後にした。
天然痘は一度かかると二度とかからないところから、症状の軽い患者に触れ、免疫を得る方法があった。
彼は子供たちの間に天然痘をうつしながら、その村へ病核を運んだ。そして、多くの村人を病魔から救った…
「ハーメルンの笛吹き男」の物語とは、随分異なる。
でも、そういう説もあってもいいかな、なんて思いながら、街を歩いてまわると、ちょうど時間だったのか、からくり時計が賑やかに動き始め、
その笛吹き男の物語を最初っから最後まで見せてくれた。
いいなぁ、ハーメルン。やっぱり来て良かった。
*この年から約15年後、2007年、とある吹奏楽団の定期演奏会で、ナレーションが入っている楽譜があるとのことで、知り合いの指揮者が白羽の矢を立ててくれてゲスト出演することになる。
その作品が「ハーメルンの笛吹き男」。
この街並みが脳裏を過ぎった事はいうまでもない。もちろんこの時は、まさかそんなことになろうとは夢にも思ってなかった。
(四十七)
そう感じ入って遅い時間の汽車に乗りハノーファーに戻る。
ハノーファーの街は、ショッピングストリートが貫く。
デパートも多い。
つまり見るものはあまりない。
他の土地でもよく見ていた歴史博物館があり、早速行って見ると、なんと、無料。
びっくりしていると、インフォメーションのお兄さんが、
「コートはあそこにかけるといい。ただし、これは1マルク取るけど(笑)」
とはいえ、用が済んだら1マルク戻ってくる。
中に入って眺めながら、今まで見てきた博物館との違和感を覚え始める。
当時のものがそのまま展示してある。
そうか、最も歴史に忠実なんだ。
非常に興味をそそられ、しかもタダでこんなに収穫を得てしまってなんとなく申し訳ない気持ちになる。
時々学生さんがソファに座ってスケッチしている。
まるでフランスのよう。
明日からはハンブルグ(Hamburg)だ。安宿取れるかな、と今から心配。
いや。明日は明日の風が吹く。…多分ね…。
(四十八)
重いリュックを背負って、郵便局によって手紙を出したりしていたら、予定していた電車に乗り遅れそうになる。
走って走って、なんとか車内に乗り込むと意外と空いてる。
広いコンパートメントを独り占め。
と言っても一時間くらいだが…。
昼前にハンブルグに着くと、まずは宿探し。なんとか安宿を…、と適当にホテルを当っていると、昔風の素晴らしいホテルに出会う。
建物の中に入ると、なぜか掃除機の音と工事の音がする。
シーズンオフだし、改装してるのかな、と思い、いつもなら、
「他を当ろう」
と思うのに、でもなぜか惹かれ、中に入っていく。
すると、陽気なマダムと工事おじさんが迎えてくれる。
内装を変えるために工事中だとか。
が、部屋に案内される。
テレビがあって、ラジオがあって、なのに、洗面台が、ない。
ドアから約二歩でベッド到着。
非常に下宿っぽい、家庭的な雰囲気で、
「グラスを貸して欲しいんだけど」
というと、わざわざ台所まで案内してくれて、
「お湯もあるから飲みたかったらどうぞ」
ここのマダムの親切さは特筆に値する。
久しぶりにシャワーを浴びる。寒い。
(四十九)
ハンブルグの駅構内にいて、吐息が白い。何度時計を見ても、昼の12:00。
それなのに、まるで朝日のような光、日差し。
北に来たなぁとつくづく思う。
少し郊外に行けば、そのほとんどに霜が下りている。
それはまるで雪のように。
寒くて寒くて、とても外をうろうろできるもんじゃない、当然マフラー手袋で完全防備。
でも、ここに住む人たちはあんまり手袋をしていない。
さすがに住んでいる人は慣れているのか?? と変な納得感…。
北上するにしたがって、ビデがなくなり、バスタブが多々登場する。
今泊まっているホテルも、シャワーとバスタブと、二つある。
が、お湯が。
最初熱くて割とすぐに冷たくなる。
もう少しがんばって欲しいのだが…
その代わり、なのか、浴室には必ずヒーターがある。
まるで、焚き火のように暖かい。
そして部屋のヒーターは、どうやら飾りらしい。
半分水シャワーから急いで出てきて、ヒーターにあたる。あー…天国のような地獄のような…でもこのヒーターないと洒落にならない。
内陸地のミュンヘンから、とうとう海(北海)に最も近い街ハンブルグまで来た。
いろんなドイツ人と話をして宿をとったりしてきたが、ドイツ人も色々だなぁとおもう。
まるでラテン系のようなノリの人もいるし、自分の仕事に忠実で真面目な人もいる。
…日本人もそうか…
やっぱり、いろんな人がいる。
いろんな人を見て、その人たちの生きてきた経路を想像すると、ふと、自分は? と思って考える。
考える。
それだけ時間がある、ということか。
(五十)
ここまで、6つの都市を、少しずつ見て回ったこのドイツという国は、広い。
そして、国中どこに行ってもきっと見るものはあるだろうと思う。
だから、
きっとドイツにこんなに長くいたのかもしれない。
これでもまだ見ていない都市はいっぱいある。
歴史的に見ても、それぞれの土地でまったく異なった出来事があって、それでも「地続き」が、ドイツという国を作ったように思える。
と、判ったようなことを言っても、全然判ってない。
何より、旧東ドイツにはまだ行ってないのだから。
人にも色々いるように、その土地にもいろんな事がある。
いつも思うのは、
自分はやっぱりただのツーリストで、たとえその街に寝泊りしても結局その時の一点のみを見たに過ぎなくて、
絶えず動いている事柄の全体像は、見たような気がするだけで、実は逆に何も見えていないんだということ。
「当たり前じゃないか、判るわけないじゃないか」
とは言わないけど、でもやっぱりそう簡単には判らない。
「判る」と軽率に言ってはならないことをイヤというほど思い知らされる。
すごい、それは悲しい。
単純に旅を楽しめばいいんだけど、どうもつい考えてしまう。
特に、ドイツは。
いい勉強になった。…かな?
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