オペラ「リゴレット」の幕が降りて、気がつけばこんなに時間が経っていた。
あらためて、関係者各位には御礼申し上げると共に、当日ご来場いただきましたお客様にもまた心より感謝申しあげます。
ありがとうございました。
数少ない稽古の中で、多くの人間がこの企画に関わり、
また、熾烈を極めた。
しかし、幕が上がり、そして幕が降りると、そこには一つの充足感みたいなものがあった。
いつも舞台を創るときに思うのだが、この、充足感というものが意外と難しくて、またその感じを知らない人が多い。
舞台に携わっていてそれでいいのか、とも思うけど、
それは言っても仕方がないので置いておくとして、
つまりは、いかに簡単に舞台創りを考えていたか、舞台って簡単に創れる、って思っていたかがよく判る。
舞台、もしくは一つの作品を創るということは、並大抵のことじゃない。
知識や技術も必要だが、エネルギーも必要だし、また持続力も必要とされる。
そして、キャストとスタッフでの仕事の内容にも大きく隔たりがある。
キャストは直に評価を受けることができるが、スタッフはそういうことはない。
それだけキャストという仕事は責任も重い。
役に対する愛情や、作品に対する熱意、そして、舞台に対する誠意、それら全てが揃っていなければいけないし、またそれが最低条件でもあったりする。
どれか一つが欠けるなんてありえないのだ。
今回は、いろんな意味で、全員が苦労した。
その大きな要因の一つは、リゴレットという作品は、元は芝居の台本だから、ということもあったと思う。
物語性が強く、またドラマ性も高い。
つまりは、各キャストが正しくキャラクターを演じなければ、物語として成立しない。
構築されず、バラバラになってしまって、意味不明のオムニバスやコンサートのようになってしまうのだ。
幸い好評を得た。
しかしそれは偏にキャストの尽力の結果だし、スタッフの努力の賜物だと思う。
こうした経過が充足感を生む。
いかに苦労したか、と、一言で言ってしまえばそれまでだが、その「苦労」は、一言では言い表せない。
産みの苦しみは感動と感謝を伴う。
一人じゃできないってことを、心から感じなければ、その先はない。
大切なのは、感じる心だ。
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