客席から笑い声がよく聞こえてきた。
モーツァルト作曲のオペラ「コジ・ファン・トゥッテ」は、好評のうちに幕を降ろした。
当日ご来場いただきましたお客様にはもとより、またキャスト・スタッフ共に尽力していただいたことには、心からの感謝の辞を述べたい。
ありがとうございました。
考えてもみれば、生粋のコメディって初めてかもしれない。
いわゆるコメディと言われている「こうもり」はやったことある。
でもこれは、自分で脚本を書いた。
今回の「コジ・ファン・トゥッテ」は、自分から一切手を入れずに、楽譜のまんま、そのまんまやった。
それでコメディというのは、初めてだ。
実に熾烈を極めた。
まず、コメディというのは、見るのは最高に楽しいけど、創るのは非常に厳しい。
今回も、現場で飛び交う怒号たるやとても楽しいものを創っているとは思えない、ピリピリした、またピーンと張り詰めた、なんだかすごくストイックな雰囲気(にしたのは自分^^;)。
そして、休憩中や、それ以外で交わされるキャスト同士の交流並びにディスカッション。
今回は、普段はあんまりそういうやり方はしないんだけど、立ち稽古初日に楽譜と筆記用具を持たせたまま、最初から最後まで、動きながら段取り説明&段取り付け稽古。
次からこの通り動いてね、的な(もちろん理由付け込み)。
最後に、粗通しの連続。
「コジ・ファン・トゥッテ」というオペラは、よくスワッピングのコメディオペラって評される。
勉強する前は確かにそう思ってた。
でも、ちゃんと勉強すると、決してそんなことではないことが実に良く判る。
まず、スワッピングに面白を求めていないのだ。
っていうか、別にスワッピングじゃなくても、同じ面白が創れるわけ。
(誰だ最初にそう言ったの!? バカじゃないのか!!?)
テーマは、人の心。
女心じゃない所がポイント。
だからね、誰でも持っている心のゆとりだったりとか、想いだったりとか、いっぱしの男と女だったら誰でも経験のあるような、そんなことを、改めて見せてくれるわけ。
青春、のような。甘酸っぱいもの。
加えていうなら、すごく漫画的で、未熟な若者が主役で彼ら彼女らの成長物語でもあったりする。
だからこそ、音楽は当たり前に、それと同じようにキャラクターをちゃんと演じてくれなければ「コジ・ファン・トゥッテ」の面白さは創れないのだ。
そして、ちゃんとやれば、充分面白くて、笑えるのだ。
物語の中の登場人物は、視野は狭いけど、でも信念を持って必死に今を生きている。
とにかく一生懸命なのだ。
そういえばそんな時期ってあった。
笑いしかないコメディは、本当のコメディじゃない。
だから、コメディが一番難しいのだ。
面白くないのを、モーツァルトのせいにしてはいけないし、ダ・ポンテのせいにしてもいけない。
面白くできなかった、自分たちが一番悪いのだよ。
だからかな、今回は辛くて、そして最高に面白かった。
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