チャップリンの無声映画みたいに、字幕もないのに客席から笑いが零れ落ち続けた。
なごみ合奏団の音楽会が無事に幕を下ろした。
関係者各位の皆様には大変お世話になりました、ありがとうございました。
「奥様女中」というオペラは、実は全く知らないわけではなくて、ハイライト形式とかで脚本・演出を何度かしたことがある。
が、今回は、ノーカットでしかも原語上演字幕なし。
舞台上にはオーケストラがいて、その前部でパフォーマンスをしなければならない。
セットだってなければ照明だってコンサート明かりのままだ。
そりゃそうだ、だって「音楽会」なんだもの。
だから。
観てるだけで笑える、面白い。聴いてるだけでコミカル。
ということを目指した。
もちろんそれができる力量を持つ歌い手でなければ不可能だが。
もちろんそうなるまでの時間と考査は大変な苦労だったし、出演者も苦労したと思う。
言葉が判らないから、判ってないということを判ったうえで話を進めなければならない難しさ。
…で、随所随所で笑いが零れ落ちたってわけ♡
こういう公演で一番難しいのは、スタッフワークだ。
普通、オペラなどしっかりと一本行う場合は、舞台監督はじめ様々な分野のスタッフが集結するし必要とされる。しかし、コンサートやガラコンなどの場合、どうしてもスタッフが疎かにされやすくなってしまう。
なぜか。
簡単、お金がないから。
お金がないからガラコンだし(このロジックもおかしいが)、演出もいなければちゃんとした舞台監督もいない。いても出演者が兼用してたりなんかする。絶対あり得ない。
結果、小屋付のスタッフさんが仕方なく手を出してくれて(じゃないと事故とか起こされちゃって逆に責任取らされるから)自分たちは何も知らず何もできずそのことすら知らずに打ち上げ会場に行く。
スタッフがキャストと同じ時間に呑み始められるなんて有り得ないよ。
ともかく。
こうやって安易に一つの公演が成り立ってしまって、何が必要でどこにお金をかけるべきかを精査することなく今後また同じようなことが繰り返され、スタッフも成長しない。
ただ。
こういう考えを持つ者は実は今結構いる。にも拘らず現状が変わらないのは何故だろう。
知らないところで変わり始めているのか?
…それとも出る杭は打たれるってことか?
いずれにせよ、本質を失ったら終わりってことだ。
なごみ合奏団の音楽会が無事に幕を下ろした。
関係者各位の皆様には大変お世話になりました、ありがとうございました。
「奥様女中」というオペラは、実は全く知らないわけではなくて、ハイライト形式とかで脚本・演出を何度かしたことがある。
が、今回は、ノーカットでしかも原語上演字幕なし。
舞台上にはオーケストラがいて、その前部でパフォーマンスをしなければならない。
セットだってなければ照明だってコンサート明かりのままだ。
そりゃそうだ、だって「音楽会」なんだもの。
だから。
観てるだけで笑える、面白い。聴いてるだけでコミカル。
ということを目指した。
もちろんそれができる力量を持つ歌い手でなければ不可能だが。
もちろんそうなるまでの時間と考査は大変な苦労だったし、出演者も苦労したと思う。
言葉が判らないから、判ってないということを判ったうえで話を進めなければならない難しさ。
…で、随所随所で笑いが零れ落ちたってわけ♡
こういう公演で一番難しいのは、スタッフワークだ。
普通、オペラなどしっかりと一本行う場合は、舞台監督はじめ様々な分野のスタッフが集結するし必要とされる。しかし、コンサートやガラコンなどの場合、どうしてもスタッフが疎かにされやすくなってしまう。
なぜか。
簡単、お金がないから。
お金がないからガラコンだし(このロジックもおかしいが)、演出もいなければちゃんとした舞台監督もいない。いても出演者が兼用してたりなんかする。絶対あり得ない。
結果、小屋付のスタッフさんが仕方なく手を出してくれて(じゃないと事故とか起こされちゃって逆に責任取らされるから)自分たちは何も知らず何もできずそのことすら知らずに打ち上げ会場に行く。
スタッフがキャストと同じ時間に呑み始められるなんて有り得ないよ。
ともかく。
こうやって安易に一つの公演が成り立ってしまって、何が必要でどこにお金をかけるべきかを精査することなく今後また同じようなことが繰り返され、スタッフも成長しない。
ただ。
こういう考えを持つ者は実は今結構いる。にも拘らず現状が変わらないのは何故だろう。
知らないところで変わり始めているのか?
…それとも出る杭は打たれるってことか?
いずれにせよ、本質を失ったら終わりってことだ。
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