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2014/11/05

もう少し先を見に行こうと

色んな意味で原点を思い返した気がする。それを、今は亡き田中保彦先生に一番伝えたい。


劇団40CARAT32回公演『海月』が無事に幕を下ろした。
去年から続いて出演する機会を頂いて、関係者各位には大変お世話になり、本当にありがとうございました。
しかも20周年だったらしい。
そんな節目の大事な公演に主演で使ってもらえるなんて…


作品の題材となったのは、神話にも多くある「見てはいけない」説。
例えば日本神話の伊弉諾、ギリシャ神話のオルフェウス、とか。それに不思議の国のアリスがちょっぴり混じって、物語へと誘っていく。
頂いた役は、若くして妻を交通事故で亡くした男。
その男も今や病に侵され記憶がどんどんと無くなっていく、妻が死んだ理由も。


最初に演出家からもらった言葉は、
「年も年だし、そろそろ枯れた芝居ができるようになった方がいい。そこで、声に頼るのやめてみましょう」
だった。
ありがたい!
今までそんなこと言ってくれた人いなかった。大体が終わってから「お前は声で芝居してる」って言うだけ。先に言えよって思いながら実のところ言われてる意味や意図は判らなかった。素直に「声で芝居して何がいけないんだ声だって一つの表現手段じゃないか」って。

まずは、発声とかを一切気にしない・考えないで、言葉を吐き出す。
日が経ち稽古が重なっていくにつれ、そこに感情が加味されて、声・発声からくるアウトプットではなく、感情を起因としたアウトプットとなっていく。
怒りや淋しさ、後悔や懺悔、そういったものを起因として言葉を言うことが、その人・役を表す。
そういう風に作ってくれたおかげで、自分の中の役者としての喜びが溢れてくるのが判って嬉しかった、楽しかった。

自分自身がその役に集中し、作品の中に入り込み、その世界で生きる。
そういうことができる作品や舞台に関わると、やっぱりこの仕事辞められないなぁって思う^^;


妻が交通事故で死んだのは、夫婦げんかの末店を飛び出した店先で交通事故に遭った。
残ったのは悔いだけ。
謝ることもできず、やり直すこともできず、再び愛することもできない。
そしてそのことすら忘れかけている。


観に来てくださったお客様方が何をテーマと捉えたかは人それぞれでいいんだけど、
多くの男性は「身につまされるなぁ」と苦笑しながら帰っていき、
女性の場合、特に年配の方々は、妙にスカッとした顔で帰っていかれる方もいた。
どっちも、それはそれでどうなんだ?! とは思うけど、ま、それでいいんだろう^^;
そして。
最初のシーンの出番を終えて、肉体的にも精神的にもヘロヘロになって袖中に引っ込んで、肩で息して、零れ出そうになる感情・あーっ!と叫び吐き出したい感情を抑え込んで、汗も涙も鼻水も、ボロボロ流して、みっともなくて汚くて、そんな姿を若い役者さんたちが見て、彼らは何を思っただろう。



ところで田中先生。
演出の花山ら楽さんは、先生の年よりちょっと若いけど、どこか田中先生に似てますよ。
この時期に先生に近い人に巡り合わせてくれたのは、やっぱりそういうことなんですかね^^;
判りました、もう少し先を見に行こうと思います。
ファン一号は、先生ですから。

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