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2014/12/02

そこは愛で溢れていた。全てにおいて、愛ばかりだった。

 

 
…が、叶った。


僅か三週間。
…いや、去年のことを考えると、なんと潤沢な時間か…去年は稽古六日間だったもんな…

2014年、今年の初め頃からいろいろすったもんだしてたけど、無事に稽古が始まって、無事に幕を下ろした。

去年植えられた種が、今年、東京都に拾ってもらった。

実質的には11/10からの稽古だったが、
(厳密には、台本が10月下旬に送られてきたからそこからと言った方がいいか)
自分的には、2月頃から始まってた。

台北の劇団から招聘されたことや、
TC作品に出演するにあたっての戦いや揉め事、
情報が錯綜して、あるいは操作されて、一体何のためのアジア都市間交流なのか、と憤ってみたり、
狭い視野でその小さな世界を一番大きいと思い込んでる窮屈な人間に土足で踏み込まれアジアデビューの機を逸したことや、
そんないろんなことが、TCと共演者たちの手で浄化してもらった気がする。


良い役を貰ったな、って思う。役者として舞台に乗る以上、どんな役であれいい役というのは役者自身のレベルを上げると思う。
なぜなら、要求される内容が、大きく、また、難しいからだ。

とはいえこの座組、いわばチームTCは、それを一人に背負わせない。
皆が、同じ時間と情報を共有することで、絆が、強く太くなる。
皆が自分の役の人生を自分の足で歩き、違う道でも同じ時を過ごすことで、自然と生まれる温度差と共通概念。
考えてみれば、普段を生きている我々だって同じだ。
同じ道を歩いてるつもりでも実際は違っていたり、でも、誰もが自分の歴史をこれまで歩いてきたら今があるわけで。

舞台の上で、その役が、今を生きる。

それはたとえ死者であっても変わらない。今を生きる。


そこは愛で溢れていた。全てにおいて、愛ばかりだった。
こんなにも儚くこんなにも脆いのに、それは決してぶれることなくそこにあり続け輝き続けた。
それは、私たちがあの時あの瞬間間違いなく生きていた生き続けていたのが何よりの証拠だ。
美しかった理由なのだ。


だから。
『うえる-SEED-』は、きっと世界に通用する。

終わってしまって淋しいという気持ちを、次に活かさないといけない時間ないんだから、という気持ちに変えてくれた。
だからもう振り返らない。
心に刻んでくれたものをより確実に身にするために、前を見る。
先に進むために。

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