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2010/04/25

ロンドンのパブでも、パリの街角でも、東京の呑み屋でも

初めてサントリーホールに行った。しかも仕事で。

六本木男声合唱団誇る先生たちのデビューコンサートのステージング(演出?を頼まれたのは、オペラ「蝶々夫人」の、小屋入りの前日だった。
キャストにはもちろんのこと、
スタッフ、ことさらにサントリーホールのスタッフさんには本当によくしていただき、心から感謝の意を述べたい。
ありがとうございました。


六本木男声合唱団のことはここでは詳しく記さないが、
その、歌の先生たちによるコンサートは、
これまで味わったことのない、不思議な、というか、面白さ、というか、いややっぱり凄さかな、そういう、未知の世界だった。
正直なところ、
歌ってすごい、いやそれを歌う歌い手さんすごい、音楽すごい、って、心が震えていた。

人間ってすごい…

これを聞いちゃうと、また、練習風景を見ていると、口が裂けても、歌いたいなんて言えなくて、で、ものすごく歌いたくなる。



新鮮だったのは、やはり、同じ音楽でもオペラの世界とはまた一味も二味も違うということだ。
どちらがどうということではなく、
なんとなく、
全く違うモノ、という感覚。

それを切に感じたのは打上だった。

オペラの現場では、打上で本番のことを話すことはあまりない。
音楽の人ってみんなそういうものなのかと思っていたから、皆がその日の本番のことを話していて、少し驚いた。
ダメだったところ、良かったところ、
思い思いに、それぞれが口を挟む。
建設的だったり生産性があったり、それだけじゃなくて、ムダ話もあったり。

芝居の現場では、決まって本番の話や演技の話しか出てこなくて、しかもそれが説教にも繋がるわけだから、
まぁ、打上という名の…稽古場?
みたいな感じで、
それもどうかとは思うけど…


でも、そこから生まれる何かしら、種みたいなものは、確実にあるわけだし、それをどうするかは本人達次第みたいな所もあって、だからこそ芸術の況やとされることも感じてしまう。


ロンドンのパブでも、パリの街角でも、東京の呑み屋でも、
時代を問わずそこから生まれた数知れずの思考は、今尚息づいているのである。


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