☞出演依頼・演出依頼などお仕事に関するご依頼はこちらからどうぞ✍

☞各公演のチケット予約はこちらからどうぞ✍

2010/11/29

とんだ屁理屈かも

何が良かったかと言われれば、全てがピースになって、突出しなかったことだ。

オペラ『三部作』が幕を下ろした。
色々と大変だったが、関係者各位・また当日ご来場頂いた多くのお客様には、あらためて感謝の意を述べたい。
本当にありがとうございました。

今回、三部作の演出をするにあたり、共通のテーマを、こう決めていた。
「欲、そして人間の欲望」
このテーマのもと、三作品を当て嵌めて考えた。

一作目の「外套」は、各キャラクターが持つ欲望もさることながら、それぞれの関係性における欲望が浮き彫りに描き出されて、いい意味で身につまされる作品でもある。
そこで、ほとんど動きを入れず、舞台上に組まれた45cmほどの高さの台の上に、倦怠する夫婦が3mほど離れた状態で座り続ける。
近寄れず、離れられず、
実際の距離で心の距離感を表現した。
ここに解決はない。
あくまで問題提起で、ここで解決してしまっては、後に続く二作品が意味を持てなくなってしまう。
だから、絶対に解決してはならないのだ。
『え?! それで??! …え、これで終わりなの??!
という終わり方。
このあと登場人物たちはどうなったのか、それについてのヒントを一切提示しない。
だから、照明もできるだけ暗めにしてもらい、取り囲む舞台セットも暗めにした。

そうして続く二作目は「修道女アンジェリカ」。
幕が開くと、真っ白な舞台に、神々しさを表すような照明。
タイトル通り、舞台は、修道院、しかも修道女のみ。
欲、というものには最も縁遠いような気がするが、そうじゃない。
自己欲ではなく、他人を想う、欲。
主人公アンジェリカの、死に別れた息子に会いたいから自殺する、ということだけではなく、死んだ息子のために自ら赴き愛す、という、自らの命を擲ってでも息子を想う気持ち、それそのものが、「外套」から引き継がれた問題を承け継ぐことになる。

さて、三作目は「ジャンニ・スキッキ」。
幕が開くと、舞台セットは真っ黒に変わり、人間の欲深さを見せる。
ニ作品重く辛い話が続いたので最後はコメディ、と言われているが、実はそうではないのではないかと思う。
遺産相続の話なのだが、
それを面白おかしく描いてはいるのだが、
実は遺産相続が一番身近にシンクロできる、黒い設定ではないのかなって思うからだ。
「外套」「アンジェリカ」と続いてきた問題はここで解決される。
しかも、たった一言で。
しかも、台詞で。


他の演出家がこの「三部作」というオペラをどのように考えどのように演出するのかは知らない。
興味はあるが、
さほど興味はない。
大切なことは、自分自身が何を感じ、何を考え、そしてお客様に何を提示するのかを、しっかりと見定めることだ。
だから、もしかしたら、間違ってるかもしれない。
他人に言わせれば上記の解釈なんてとんだ屁理屈かもしれない。

でも、自分には自分の役割がある。

現場で切磋琢磨したいからこそ、役割を全うしたいからこそ、勉強するのだ、その作品の、その役の、エキスパートになるために。
考え、想像するのだ。

自分のしたいことは何ぞや、と。


それをやらなくなったら、それはもう舞台人とは言えないのだよ。

0 件のコメント:

コメントを投稿