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2006/02/08

世界地図を広げると❽


(七十一)

どうもイギリス出入国に関しては、お酒と悪天候が付き纏うらしい。


ロンドンに戻ってきてから、約三週間、友達の家に居候し、生活感にまみれ、すっかり馴染んでしまったかといえば、それはちょっと違う。
土に根ざして生きることの安心感が、こんなにも強大かということを思い知った。

そこに人がいて、家があり、街があり、国がある。

住むための家でなく、生きるための家。
だからこそ、離れられなくなる。


さて、現実的に言うと、いつまでも何もしないで人ん家に居候しているのもどうかということで、一路ドイツへ。
ドイツ留学していた友人が日本に帰国するというので、その見送りという理由を無理矢理つけて、自分のケツをぶっ叩く。


ヒースロー空港のターミナル1からチェックインして、ハンブルグ行きの飛行機に乗る。
往復で25,000円ほど。
ま、こんなもんだろ。
機内で朝食が出て、約一時間半であっという間にハンブルグに到着。

おっとそうそう時差がある。

時計を直して、バスでハンブルグ中央駅へ。
だんだん近づくにつれ見慣れた景色が目に入るようになり、「あぁここかぁ」なんて生意気なことを言いながら約20分ほどでハンブルグ中央駅に到着。

宿探しも手馴れたものというより、前回お世話になった宿に直行。


おかみさん、覚えててくれてるかな。

(七十二)
と勇んでいくものの、週末ということもあってかどこの宿も「CLOSE」という看板が出てる。大丈夫かな、開いてなかったら一から安宿探しかと思っていたが、大丈夫、開いてる。

早速見慣れたドアを開け、勝手知ったるかのように階段を上り、受付へ。
あ、おかみさんだ。
「こんにちは!
相変わらず愛想がいい。
「シングルは今ないの、ダブルなら」
「じゃあダブルでいいです」

残念、どうやら覚えてないみたい。

部屋に案内されてびっくり。
シャワールームが部屋の中にドーンと置いてある。
前に泊まった部屋と比べるとすごい差。
これでDM50は安い。

ここの部屋は2階にあるが、受付は3階。
3階のフロアだけかと思っていたこのホテルは、想像よりも広い。


快適に過ごし、翌日、ベルリンに向けて出発。

8:13、ハンブルグ中央駅出発。
今回はユーレイルパスがないので、いちいち窓口でチケットを買い求める。
面倒でも、それはそれで値段が明確に判って、実に面白い。

12:06、ベルリン ツォー駅到着。
4時間弱の旅、意外と遠い。

ベルリンは初めてだ。

(七十三)
安宿を求めてホテルを探し回った結果、だんだん駅に戻っていくような形になって、四件目のホテルに決定。

まるでどこかの宮殿のようなこのホテルは、
窓からメインストリートが一望でき、夜景もきれいで、部屋も広く、家具にも結構力を入れているような、
まるで東京にいるような雰囲気。
なんだけど、テレビがない。
とはいえ、すごく静かだし、マダムも親切で、すごくありがたい。


さて、ベルリンと言えば、「壁」だ。

3年前までは壁のあったこの土地。東と西に分けられていた、この街。
せっかくなので、旧東側をちょっとだけ覗いてきた。

ほんとに「ちょっと」なので何とも言えないけど、
なんとなく、町全体が工事中だらけで、それが、途中なのか、これからなのか、さっぱり判らないほど、武骨な感じ。

そして地下鉄に乗ると、
「東と西の間の地下鉄も封鎖されてたんだよ」
と聞かされる。

そうか、確かに言われてみれば当たり前だ。
「東西分裂」しか頭になかったから、ピンとこなかった。

くっついてる土地を分けるということは、いかに大変な事変なのかと。


そんなこんなで、ツォー駅の近くをふらふらと散策してると、結構コワい感じの人たちがたくさんいる。
実際はどうなのか判らないけど、やっぱり身の危険を思う。
そして自分が、外国人、特にアジア人であることがいやというほど判る。
ベルリンという街がそういう雰囲気なのか、それともただの気のせいなのか

いずれまた来る。
今度は気を入れて歩き回る。
やっぱりベルリンという街は興味深い。

(七十四)
翌朝、フランクフルトに向かうために、9:45ベルリ ツォー駅発の列車に乗る。

フランクフルトまで約6時間。
お客さんは、少なかったり多かったりただ、ベルリンからずいぶんたくさん日本人が乗ってきたようだったが、途中でどっかに行ってしまったみたい。
のんびりとオープンサロンで時を過ごす。

16:01、フランクフルト中央駅着。

そこで友人達と合流し、なぜか急遽その足でウィーンに向かうことに。
なんかバタバタだな^^;ま、いっか。

ということで、23:20フランクフルト中央駅出発。
久しぶりの夜行、そして久しぶりのウィーン。

クシェットが取れなかったので、仕方なくコンパートメントで一夜を過ごす。
パスポートチェックのあるものの、あんまり国境を越えた感じはしない。

が、さすがにウィーン西駅に着くと懐かしい。

8:00、ウィーン西駅着。

前回利用した、HOTEL FUCHSが忘れられず、早速行ってみる。
あの時のあのお兄さんいるかなぁ、なんて思ってたけど、残念、結局会えずじまい。

今回は友人と一緒なので、シングルではなく、ツイン。
すると、これまたびっくりするくらいのちゃんとした部屋に案内される。
シャワーもバスもトイレもテレビもある。何より、キレイ。
お風呂も、夜遅くまでお湯が出るし、ベッドと共に快適。
久し振りにバスタブに浸かって、かえって暑くて寝れないほど。

翌日ウィーンの街中を歩いていると、前回とは異なり、日本人がやたらといて、この前の静けさがうそのように若者が多い。

その後、友人がミュンヘンに旅立っていったので、部屋を変えてもらう。
もちろん、バスなしトイレなし。
別に風呂なんかなくても平気。

前回泊まった時の部屋の近くなので、なんとなく懐かしい匂いがする。
暖房もしっかり効いてくれて、おかけで洗濯物はよく乾くし、ベッドも快適。

今回の旅は、多人数になったり一人になったりするので、人数がそれなりに多い方がずっと安くて快適な旅になることがよく判る。

一人旅も、それなりにいいのだが

(七十五)
翌日、7:35ウィーン西駅発。
ギリギリ、最後部から飛び込み、シートに座る前に列車が動き始めた。
こういう時に限って正確なんだから少し遅れるだろうとタカをくくってはいけない。

目的地は、INNSBRUCK

ウィーンからインスブルックまで、約7500円くらい。
12:40INNSBRUCK着。
寒い。


前回来た時、ここにはまた来たいなぁ、と思った場所の一つ。
諦めずに、またここに来れてよかった、とホクホクして宿を探してると、やたらと人が多い。
というか、スキー客。
そうか、そりゃそうだな、と思い、宿が決まってから、もしかして自分もできるのではと、宿の人に仕組みを聞いてみる。

市内のあちこちにSKI BUSの停留所があちこちにある
8:45発と10:45発。
それらが、ミーティングポイントにいったん集結。
そこから、バスを乗り換えて、全部で5か所あるスキー場にそれぞれ向かっていく。

よし、ということで、スキー道具をレンタルし、行ってみた。
行先は、AXAMER LIZUMという山。
天気良好、雪質も良く、何より景色がたまらなく絶景。
滑っていても、周りを取り囲む大自然が素晴らしく美しく、かつ雄大。
本当に山を滑っている感じ。

時々日本人に遭遇する。が、何故か皆揃いも揃ってカップルのみで、声をかけられることもなければ、声をかけることもできず、一人でアルプスにスキーに来てる奴なんてボクぐらいなもんだ、スキー場で会うなんてすごい偶然なのになぁ、と思っても、そこでおしまい^^;

ま、アルプスでスキーができたんだから、それでいいのだ。

(七十六)
結局2泊した後、17:11INNSBRUCK中央駅発の列車に乗り込み、まずはミュンヘンへ。
眼下にイン河と町並みを見下ろしつつ、アルプス山中をゆく。
トンネルが多いが、とにかく眺めが最高に良い!

途中、チロルの街を通っていく。
驚くほど美しく、前回の旅だったら、思わずここで下車していたと思うほど。

20:00、ミュンヘン中央駅着。
雪が降っていて、街全体にうっすらと雪化粧がしてある。素晴らしい
そして、ベルリンに行くためにここで2時間待ち。

22:15、小雪がちらつく中、ミュンヘンを出発。一路ベルリンへ。
車内には、日本人の姿がちらほら。

車掌さんに、
ZOO駅には何時に着くか?
と聞いたら、ドイツ語でペラペラと言われてしまい、えっと英語で
「自分は英語が話せないんだよ」
だと。
結局お互い笑って「ありがとう」で終わってしまった。
色んな車掌さんに出会ったが、とにかくユニークな人が多い。

7:41、ベルリン ツォー駅着。

この車内で、三井さんという一人の日本人学生に出会う。
卒業旅行だとか。
で、一緒にホテル探しをすることになった。
が、たまたまベルリン国際映画祭の真っただ中で、とにかく人が多く空室が少ない。
結局前回泊まったホテルにやってきて、なんとかシングル二つを確保。

今回ベルリンに来たのは、友人が日本に帰るため、その見送りのため。
したがって、当人が日本に帰ってしまえばあとはもうどうとでも過ごせたんだけど、なんだか妙に三井さんと話が合ってしまい、結局連泊することになった。
宿のマダムに、
「すみませーん、やっぱりもう一泊したいんだけど
と恐る恐る聞いてみたら、笑って、鍵の束(表口、玄関、部屋の鍵、トイレやバスルームなど、いっせいになってる鍵の束)を渡されて、
「(使い方)知ってるね?

はい、重々承知しております

(七十七)
とはいえ、いつまでも一緒にいることはできないので、意を決して、前回挫折した東欧へと足を伸ばすことを決心。
まずは、ポーランドはワルシャワ(WARSZAWA)。

21:16BERLIN LICHTENBERG駅発。中央駅ではない)

三井さんが、また日本に帰ってきたら連絡してね、と、わざわざ見送りに来てくれる。
見送られるなんてすごい久しぶりで、なんか感激^^;

列車は、10分前くらいになってようやくホームに入ってくる。
そして、発車も、音もなくスタート。何の前触れもなく動き出すのでビックリ。
車両は、DR(ドイツ国鉄のマーク、なんだけどこれは東版。西は”DB”)と、PKP(ポーランド国鉄のマーク)とが連結されている。
チケットは、最初間違えて二枚買ってしまったと思っていたら、実はクシェットのチケット(DM36)と乗車券(DM39.70)。
予算よりはかなり安い。が、クシェットを使うつもりはなかったので、かえって高くついてしまったんだが、どっちにしろ予約は必要だったみたい。

発車すると、車掌さんがチケットを取りに来る。
そして、WET-NAPというナプキンをくれる。
よく判らなくてしげしげと眺めていると、帰りがけのその車掌さんが、手を拭く真似をして教えてくれる。

オモシロいけどさ、そうじゃなくて、なんでくれたんだろ?

FRANKFURT Oder駅でパスポートチェック。
色んな人がコンパートメントの前を行き来する。
はじめはポーランドの入国チェック。次に、税関かな? お金のチェック。そしてドイツ出国のチェック。

結局一時間ぐらい停車。

7:04WARSZAWA中央駅着。

(七十八)
ポーランドの首都、ワルシャワ。
朝早くに到着したこの土地には、その日の夜、つまり今夜にはもう旅立たなくてはならない。というのも、ベルリンで予定外の「もう一泊」があったため。ちょっと残念。宿にも泊まってみたかった。

とは言え、一応まる一日あったので、地図を頼りに中央駅周辺を散策。
街を歩いてみて、ハンガリーのBUDA市のように、東だなぁ、と思うことはほとんどない。逆に近代的でびっくり。
ワルシャワはもっと露骨に東的雰囲気があると思っていたので、そのギャップに驚き、実際に来てみないと判らないということがよく判った。

もっとも、そこにいる人たちはまさしく東的。
ベルリンの旧東側のような中途半端なものではなく、社会主義の考え方にどっぷり浸かっていて、他の考えが浮かんでこない、ということが実によく判る。
人々を見てると、貧しいということが伝わってくるんだが、そのくせ、大荷物を持った人で駅はごった返している。
どういうことだろう。

駅の窓口の人とかも、実に事務的。自分がこの仕事をやりたくてやっているという気持ちがないことがありありと判る。仕方ないけどね。
そのかわりCAFÉなどにいる人たちは笑顔をよく見せてくれる。
思うに、ポーランド人は笑顔がとてもよく似合う。


とてつもなく広い中央駅(絵文字とかも少なくて多少判りづらいが設備はかなり整っている)で、次の目的地PRAHA行きのチケットを予約して乗り込む列車は、20:21WARSZAWA CENTRALNA駅発。
プラハまで約2030円。ウソみたいに安い。
フィンランドから来たという女の子二人と同じコンパートメントになり、色々と話が弾む。なんでも、フィンランド人はチェコのビザは要らないらしい。

8:31PRAHA HLAVNI駅着。定刻よりも早い、珍しい。

(七十九)
チェコスロヴァキアの首都、プラハ。
ちょうど、チェコとスロヴァキアが分裂しそうな時期で、しかしそんな事とは露知らず、のこのことやってきた。

しっかり宿もとって、早速街を歩いてみると、今まで見てきた社会主義の街並みとは一味違う。
これが本当に社会主義だろうか、いやもしかしたらこれが社会主義の国の本当の姿かもしれない。本当にそう思った。

街を歩いていて気が付くことは、工事中のところが多い割に建物は美しく原形を留めている。
そして、あっ!? と思ったのは、どこの道にも信号がないこと。
もちろん車は走ってるし、市電も走ってる。歩行者もやたらめったら多い。
なぜだろうと、と思ってると、たまにお巡りさんが交通整理をしている。でもヒマそう

街並みは、やっぱりタメ息が思わず出るほどスバラシイ。
映画「アマデウス」の舞台になったというプラグ城(Pragu Castleようするにプラハ城ね。チェコ語でプラハはPragueと書く)も見てきたけど、確かに、そのまま映画のスクリーンに映し出しても遜色ない。
そういう細かい細工のしてある塔や教会が、街の中のあちこちに建てられている。
何とも言えない。

残念なことは「プラハ独特」というのを感じられなかった。どこか、に似てる。いや、もしかしたらみんながプラハを真似したのかも。
ま、プラハがチェコスロヴァキアの全てだとは言わないが。

そんな石畳の街をたっぷり堪能し、いよいよハンブルグから(今回は飛行機で^^;ロンドンに戻る。

15:54PRAHA HLAVNI駅発。まずはHolesovice駅まで。ここで乗り換え。一時間から二時間くらい待たされて、17:10頃ホームにハンブルグ行きが入ってくる。

なんだか不安だぞ、大丈夫かな。サボ(行先表示板のこと)を見ても、HAMBURGの文字があるのは1,2輌しかないし。

18:01PRAHA Holesovice駅発。ハンブルグまで約7500円。二等のシートで、車両はチェコスロヴァキア国鉄のもの。すごく揺れる車内からチェコスロヴァキアの夜景を拝もうと窓の外を見ても、真っ暗すぎて何にも見えない。明かり一つない。あ街灯だ、と思うと、それは駅だったり^^;

出国のチェックもかなり厳しい。
まずはパスポートチェック。次にチェコスロヴァキアの税関。手持ちのコロナKCS…チェコスロヴァキアの通貨)の金額(紙幣に関しては、没収に近い形でドイツマルクと交換させられた)と、他にチェコスロヴァキアから持ち出したものはないか、続いてドイツ側の税関。タバコ、酒、それからリュックを開けて中身のチェック。
ここまでするのは初めて。なるほど、国境を越えるんだ、と思う。

6:30、ハンブルグ中央駅着。15分遅れ。でもちゃんと着いた、よかった。

(八十)
朝早くにハンブルグの街に放り出されて、前回の宿に行ったらまだ閉まっていたので、仕方なく他の宿を探す。
すると、初めはDM79と言われ、シャワーナシはないのか、と言ったら屋根裏部屋でよければDM49でいいと言われ、即決。
やった、屋根裏部屋だ。しかも入ってみるとほんとに屋根裏、天上低いし、っていうか天井に窓がある!
テレビもあるし洗面台もあるし、朝食もついてるし、これでDM49ならすばらしく安いだろう。

10:00発の空港行きのバスに乗ってハンブルグ空港へ。そんなに大きな空港じゃないから迷わずチェックイン。BABritish Airwaysのお姉さんもすでに受付を開始していたのですぐにゲートに入る。
12:00ちょうどに動き出して、12:07テイクオフ。
ドイツにもハンブルグにも当分来ないだろうから、しっかりと目に焼き付けておく。天気が悪くて、雲の上に出ると厚い雲が街を覆っていることがよく判る。
12:20LONDON Heathrow空港着。

ところが。。。
なぜかパスポートチェックで引っかかってしまった。
元々ロンドンには友達がいるし、これまでも何回か来てるし、なんとなくそんなことを言ってしまったのがあんまりよくなかったみたいで。ただでさえ英国入国は結構うるさいのだから、素直に「観光」とか「一週間」とか言っとけばいいものを、久しぶりの英語に嬉しくて油断してしまったみたい。

「お前ちょっとこっち来い」

と、警備(警察?)の人達もわんさか出てきて、完全に取調室みたいなところに連行される。

何しに来たのか、どこから来たのか、日本では何をしてるのか、このノート(旅日記)は何だ、この国では何をするつもりなのか、

とかとか。約三時間!

ここまでくるともう英語なんて全く通じないに等しくて、正直なんて言ってるのか判らないし、だから自分の回答が正しく意図通りに相手に伝わってるのかも判らないし、これはもしかしたら強制送還か?! と疑心暗鬼にもなるし、とにかく大変だった。

やっと解放され部屋から出て、最後にリュックの中身を全部広げられて調べられ、怪しいものが何もないと判れば、そのまま広げたまま、じゃあ行ってよし、なんて言うもんだからさすがに頭にきて、

てめーで広げたんだからてめーが片づけろ!

と言いたかったけど英語でなんて言ったらいいか判らず
ぶっすりしながら一人で片づけ、パスポートコントロールの脇から、
まるでスタッフのように通り抜け、
気分は犯罪者の気持ちでロンドンの街へと出ていく。


疲れた。


(続く)

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