「結構空いてましたよ」って言われた。
「カルメン」が無事に幕を降ろす前に、La Primavera公演の「イル・トロヴァトーレ」もまた、とりあえずなんとか無事に幕を降ろせた。
こちらは、とにかく舞台スタッフに多大なご迷惑をかけた。
ご来場頂いた多くのお客様には心より御礼申し上げたい、本当にありがとうございました。
同じ時期に、…っていうか同じ日に、なんで公演するかな…と、
「カルメン」は一年以上前から話があったので「トロヴァトーレ」の方はお断りしたんだけど、それでもいいからお願いします…と言われ、こっちも、それでもダメと断ればいいものを、つい「トロヴァトーレ」の魅力に負けてしまって引き受けてしまったがために色々(アキレス腱断裂とか)大変なことになってしまった2010年の夏…
一言で言う。
キャスト・スタッフの(技術・能力の)違いは各々あれど、それ以上の決め手となるのは、制作だ。
さて、「イル・トロヴァトーレ」、なぜそうまでしてやりたかったかというと…
「トロヴァトーレ」をやれば、「リゴレット」「椿姫」と、この時期のヴェルディ作曲の三部作を全部やったことになるから。やってみたかったから。
(「リゴレット」は1851年作曲、「トロヴァトーレ」は1852年作曲、「椿姫」は1853年作曲)
そういう意味では、現場に関わることができたのはすごく幸せだったし、
まぁ、やっぱりさすがヴェルディというか、音楽が非常に良くできているので、大問題にはならないところがすごい。
三作品全部やってみて一つ思ったのが、段々大人な音楽になっていくような感じがした。
「リゴレット」はすごく情緒的で感情的だけど、「椿姫」はものすごく洗練されている感じ。
その間に来る「トロヴァトーレ」は、その二つを掛け合わせたような、ある意味作曲家の苦労が垣間見れるような、そんな気にさせられてしまう、不思議なものだった。
まぁ、実際どうなのかはヴェルディに聞いてみなければ判らないけど^^;
ただ、そうやって妄想したり空想したり、考えたりすることって、すごく大切で、また、必要なんじゃないかなって思う。
どうして、「サンプルがあって(通例があって)その通りにやるべきものなんだ」などと思ってしまうのかが判らなくて、
だったら、演出なんていらない、ビデオ見てそのままコピーすればいいじゃないか、って思うし、
てか、じゃあ舞台観に行く必要ないじゃん、そのビデオ買うし、って思うし、
それ以上に、
コピー元の向こうの歌い手さんや指揮者並の実力と能力と技術が自分にもあるのだと思えるのかが、やっぱり理解できない。
そして、今回の公演に関しては、団として、なぜ「トロヴァトーレ」なのか、それが全くなかった。
プロ意識?
いや、お客様に対する、最低限の礼儀が、欠けていたように思う。
この夏により強く思ったのは、
オペラなんだから音楽部分はもちろんできて当たり前で(それはキャストも音楽スタッフも)、その上できちんとキャラクターを演じ表現しなければ、決してドラマにはならなくて、ドラマにならなければオペラとは言えない、
ということ。
歌うだけではすまない、その必要性が、一部の歌手の人たちは痛感として持っているように感じた。
だからこそ、そういう、ある意味「飢えている」人たちの手助けができればいいなぁ…
と思いながらその反面、
そうではない人たちに対しては、なんかものすごい憤りを感じた。
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